引用 フェイスブック岩手県一関市
もうショックすぎて、悲しすぎて涙も枯れました。
今年はなんて悲しい年なのか。
母との別れからやっと立ち直ったのに、今度は大好きだった中村さんが・・・
NSP 中村貴之さんが逝く
NSPは私の青春でした、そしてつらい結婚生活を支えてくれたのもNSP、大変だった別居後の生活では、中村貴之さんのライブに行くことが、私の生きがいでした。
上記写真はNSP代表曲の夕暮れ時はさびしそうの舞台となった岩手県一関市の磐井川の堤防の写真です。
♪こんな河原の夕暮れ時に呼び出したりして、ごめんごめん♪
本当に名曲で、天野滋さん亡きあと、中村さんが歌いつなげてくださいました。
どれだけNSPの歌にはげまされたことか。
NSPの中村貴之さんは68歳、ステージ4の肺がんで闘病されていましたが、ついに帰らぬ人になってしまいました。
NSPのことは、このブログでもたびたび記事にしてきました。
お茶のいっぷくというブログ名は、NSPの歌からお借りしています。
天野滋さんが亡くなった時も、すごくショックでしたが、今度は中村さん。
NSPのメンバーは平賀和人さん一人になってしまいました。
中村貴之さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
私にとっては、おととしの横浜ゲーテ座でのライブが最後となってしまいました。
あの時、中村さんはまだとてもお元気で70歳まで頑張るとおっしゃっていたのです。
私も中村貴之さんと共に、青春時代よもう一度の気持ちで、これから始まるシニアライフを楽しもうと思っていました。
ふきのとうの細坪さん、NSPの平賀さんと共にグループを組んでいたスリーハンサムズのコンサート、そして中村さんの単独ライブ、それはそれは楽しませていただき、そしてたくさんの励まされました。
今年4月に岩手で行われたスリーハンサムズのコンサートでは、かなり痩せておられ、声もでなくなっていました。
そして7月に予定されていたコンサートは、中村さんの入院で中止になってしまったのです。
昨日の夜、中村さん死去の文字を目にして、心に大きな穴があいてしまいました。
死去、見たくなかった文字です。
ずっとずっと復活を信じていたからです。
岩手県一関市磐井川、夕暮れ時はさびしそうの舞台となった場所へ、来年は行けたらいいなと思っていました。
今は悲しすぎてNSPの歌を聞くことも、YouTubeの動画を見ることもできません。
ライブに行くというこれからの楽しみがなくなってしまった。
どうしよう・・・
中村貴之さん、娘さんは確か20代、中村さんの闘病を支えたお母さまを、今度は支えてあげてほしいです。
いつかはみんなあの世に行き、お別れがくるのはわかっているのですが、寂しすぎます。