昨日、母の49日の法要、そして納骨が無事に終わりました。
私が生まれ育った東京は、近いようで遠い。
東京をウロウロしたら、とっても疲れちゃって、私は本当に田舎者になったと感じ、横須賀に帰ってきたらホッとしました。
母の法要と納骨は、兄夫婦と妹夫婦と私、5人で行いました。
コロナのせいもありますが、葬儀、法要のあり方もどんどん変わっていくような気がします。
テレビのCMでよく見かける小さなお葬式、これからは小さなお葬式が主流になっていくかもしれません。
母の49日法要と納骨
実家はあるお寺の檀家になっていたので、そのお寺で法要をし、その後、少し離れた郊外のお墓へ移動し納骨しました。
お墓をあけると、祖父の骨壺と父の骨壺が見え、母はその隣にすっぽり収まりました。
お墓には母の名前、戒名、亡くなった日も、すでに刻まれていて、母は本当に亡くなったんだとあらためて実感しました。
「いずれは墓じまいしたい」
兄夫婦はそう思っているようです。
兄も62歳となり、年取ったな~と思える行動がいくつかありました。
兄夫婦には男の子二人がいますが、子供たちの代にお墓の管理は任せたくないという考えのようです。
墓じまいは莫大なお金がかかるそうで、簡単にはできないと思います。
問題は先送りということです。
会食の後、池袋の街をうろつきました。
私の生まれ故郷は、東京の池袋で、生まれたのも池袋の病院です。
サンシャイン60という、60階建てのビルはご存じでしょうか?
あのサンシャイン60の麓?で育ちました。
サンシャイン60は、1978年創業、もう43年たったとは、月日の流れを感じます。
サンシャイン60が建つ前は、あの場所は巣鴨プリズンと言って、戦犯者が収容されている場所でした。
今でも処刑場は、公園の敷地内に残されています。
若い人たちは、何も知らないで、デートを楽しんでいるようです。
池袋の再開発で、私が生まれ育った家は立ち退きになり、取り壊されて、今は大きなビルになっています。
近所の商店街はあとかたもなくありません。
その後、建てた二世帯住宅が私の実家となったわけですが、今度はローンが払えなくて手放すことになります。
私の生まれ故郷、池袋はどんどん変わっていきました。
昭和のにおいは、ほとんど残っていませんが、唯一残っていたのは老舗の洋菓子店タカセです。
ここのパンは母も大好きだったので、懐かしくなって買ってきました。
手前のコーヒークリームドーナツ、すごく甘いですが、上にのっかているあんずが、昔から好きでした。
母が好きだったあんぱんは残念ながら売り切れ。
自分がもう61歳になるのだから、街もどんどん変わっていくのは仕方がないですが、昭和のにおいが消えていくのは寂しいものです。