6月21日は父の命日でした。
父が亡くなってもう7年経ちました。
この7年の間に、母は老人性うつ病になり、そこから認知症へと移行していきました。
配偶者を亡くす、そのショックからうつ病になり、そして認知症に移行していく高齢者は多いのだそうです。
父が亡くなった直後に、実家を売る話が決まり、母と兄夫婦は二階建ての貸家に引っ越しました。
その後、お嫁さんがパニック障害になり、母を施設に入れることになりました。
その間に、私は息子と家を出て、二人暮らしを始めました。
こう書いてみると、本当に波乱万丈の7年間だったと思います。
父の命日を、母は忘れていました。
「今日は何の日だかわかる?」と聞いてみたのですが。
母は、少し考えて「わからない」と答えました。
ちょっと悲しくなりました。
母は、月命日とか、命日を大事にする人で、月命日そしてもちろん命日にも、お墓参りを欠かせませんでした。
お父さんに会いに行くと、少し認知症が始まってからもお墓に行っていました。
そのうち、毎月行っていたお墓の場所がわからなくなり、一人でお墓参りに行くことをあきらめました。
私や妹が、何回か連れて行きましたが、今度は身体がしんどくなり行かないというようになりました。
記憶をなくしていく母は、もう父の話も全くしなくなりました。
あんなに先祖のお墓、仏壇を大事にしていた母が、もうその話にもふれなくなりました。
今は、サービス付き高齢者住宅の一人部屋で、ディサービス以外はほぼ寝てすごしているみたいです。
母は、もしかしたら幸せなふりをしているのかと思ったことがあります。
もう私たち子供に迷惑をかけたくない、そう思っているのか、認知症の進行で感情というものが失われているのか、どっちなんだろう?
両方かもしれません。
父の七回目の命日に、父のお墓へは誰も行かなかったと思います。
妹は、パニック障害。
兄夫婦は、仕事に追われて。
私も仕事でした。
千の風になってという歌があります。
私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません、千の風になってあの大きな空をふきわたっています。
この歌を聞いて、父は誰も来ないと寂しがっていないよねと思うようにしています。
誰もお墓参りに行かないという後ろめたさもあります。
みんな自分の生活に必死、生きていくことに必死だから、父は許してくれるだろうかと思ったりしています。
実家のお墓は、たぶん草木がボウボウだと思います。
墓じまいとか考えた方がいいのではと、最近思います。