最近、どこにしまったか忘れる問題が多発していて、しょっちゅう探しものをしています。
これはなんとかしなければ!と気が付いたのは、やはりモノが多い。
使わないモノ着ないものが、部屋中にあふれているのです。
二年前に、亡くなった私の母は、断捨離が苦手でした。
私が生まれ育った家から、二世帯住宅に引っ越す時、二世帯住宅を手放すことになった時、施設に入ることになった時と、合計3回も断捨離したわけですが、すごい量の物を捨てました
昭和一けた生まれの母はとにかく物を捨てない
もったいないもったいないが口癖でした。
そういう親を持つと子供は実家の断捨離でものすごく大変な思いをします。
施設に入る時に、そんなにたくさんは持っていけないのでかなりの量の洋服を捨てることになりました。
私がなかなか物を捨てられなかったのは母の影響が大きいと思います。
物を捨てる罪悪感を受け継いでしまいました。
時代は変わりました。
断捨離やミニマリストブームでもたない暮らしが主流になりました。
母はいろんな面で反面教師です。
息子溺愛も母のマネしちゃいました。
断捨離が苦手で、あふれたものの中で暮らしてきた母です。
これは子供に迷惑をかけます。
一度にどっと物を捨てるってお金もかかりましたし、とにかく片付ける労力がたいへんなものでした。
そう思うと、私もこれ以上物を増やしてはいけないってすごく思います。
母の最終章は、すべてのしがらみを手放していました。
母は母なりにつらい過去があったり、若い時は苦労をしたようです。
そして自営業の妻としてお店を切り盛りして、けっして楽な人生ではなかったかもしれない。
最後は父の闘病を支えて、自分は老人性うつ病となり、認知症へと移行していったわけです。
古くからのしきたりにすごくこだわる人で、お墓参り、法事、親戚づきあい等々すべてを完璧にしないと気が済まない人でした。
気をつかいすぎたから、認知症になってしまったのかななんて思います。
認知症というのは、神様からのプレゼントだという人がいます。
過去の苦しみ、しがらみ、もう全部忘れていいよってことらしい。
もったいないオバケを退治して、毛皮の襟巻きを手放す
毛皮のファーというのか、襟巻きというのかわからないけれど、とにかく高価なモノであることは間違いありません。
数年前に、知り合いから譲り受けたのですが、結局一回使っただけで、タンスの肥やしになっていました。
だいたい毛皮の襟巻きにあうコートも、今は持っていないので、これからつけることもないと思うのです。
他人様からいただいたモノなので、なかなか手放す勇気がなかったのですが、今週の廃品回収に出します。
あとは数年着ていないダウンのコートも手放します。