今日は、母の所へ行ってきました。
妹から聞いてはいましたが、さらに認知症が進んでいました。
共に食事に行ったのですが、えっ~と思うような行動をします。
そんな母を見るのは、ただ悲しいだけです。
施設入居を嫌がった母でしたが、サービス付き高齢者住宅に入居してもう5年になります。
施設に入るなら死んだ方がましという言葉をなんど聞いたことだろう。
その言葉を聞き続けてきた私たちは、母を施設に入れる罪悪感がありました。
可哀想という思いもありました。
あんなに嫌がった母ですが、今ではもうその暮らしにすっかり慣れています。
郷に入っては郷に従えという言葉がありますが、母はサービス付き高齢者向け住宅で暮らすことを受け入れたのです。
帰る家がなくなったということもあり、受け入れざるをえなかったのだと思いますが・・・
施設入居を嫌がった母、入れてよかったと思うこと。
先月暮れに、野村克也元監督の日常をテレビで見る機会がありました。
奥さんの沙知代さんが亡くなってもう二年です。
突然の別れということもあったと思いますが、野村元監督は二年たっても立ち直っていませんでした。
寂しい、寂しい、なんで先に死んだんだと奥さんの死を受け入れていません。
ご自宅の庭のベンチにポツンと座り、寂しいを連呼していました。
あとは死を待つだけだとも言っていました。
なぜ寂しいのか?
いつもそばにいた奥さんがいなくなったからだけでなく、話し相手がいないからという理由でした。
一日自宅の庭でひとりぼっちで過ごしていれば、生きる目的もないし寂しいに決まっています。
それを見て、母を施設に入れてよかったと思いました。
母は認知症が進んでいますが、母の周りには同じように認知症が進んでいる仲間がたくさんいるのです。
同じ話を何回してもとがめる人はいません。
話したことを忘れてもとがめる人もいません。
そして母に優しく接してくれるヘルパーさんもいます。
母は優しくされることに飢えていたと思います。
家族というのは、優しく接しようと思ってもなかなかできないものです。
認知症の母、たまに会うから優しくできるのです。
施設に入れば話し相手がたくさんできます。
同じような仲間もたくさんいます。
話し相手がいるというのは大きいと思うのです。
野村元監督の番組の後半では、90代の橋田壽賀子さんとの対話を企画していました。
橋田壽賀子さんとの対話の中で、野村元監督の顔がみるみる明るくなっていくのがわかりました。
おひとりさまの老後は寂しいかもしれません。
話し相手がいるといないではずいぶん違ってくると思います。
そして母を施設に入れてよかったと思うこと、もう一つは母に居場所ができたということです。