老後の暮らし

夫が家族のために働く選択をしていたら、一家離散にはならなかった




急に涼しくなりました、この涼しさは大歓迎だけど、寒暖差疲労にも気をつけたいですね。

物悲しい秋がやってきた!理由なく落ち込むのは、寒暖差疲労?
本当に暑かった今年の夏、やっと終わりをむかえています。 それにしても厳しい夏でした、南海トラフ注意情報、地震、米不足。 そして、現在も続く野菜高騰、さまざまな値上げ。 頑張って働こう!って自分に気合を入れています。 ...

昨年の今頃に書いた記事ですが、今年は落ち込んでいる暇はなさそうです。
新しい仕事を覚えるのが大変そうなので。

清掃の仕事をする初老男性

前回のブラック会社でも、今回の清掃会社にも、60代から70代の男性が何人かいたのです。
どこかの企業を定年退職した方なのかもしれないけれど、みなさんキビキビと動いて働き者です。

生きるため?食べていくため?それとも家族のため?
老体に鞭打って働く姿を見て、亡き夫のことを思いました。

夫は自営業で、自分で仕事をしていたのですが、良い時には年収1000万の時代もあったのです。
通帳を眺めたり、札束を並べてニヤニヤしていたこともありました。

羽振りが良い時代もあったので、子供たちは小学校から私立の学校に入れました。
娘は小中高、息子は小中まで、一度さらっと計算してみたら、学費だけで2000万くらいかかっていました。
(専門学校と大学の費用は、奨学金を借りていましたが、夫の遺産で二人とも完済することができたようです。)

その後、仕事の量が減りだして、いっきに貧乏になっていったのです。
仕事がなく荒れはじめ、モラハラと暴力がひどくなっていったのはその頃です。

家族のために、働いて

私は外で働くことを禁止されていたのだけど、どうにもならなくて夫に内緒でパートを始めました。
当時、夫にも、もう自営業は稼げなくなったから、外で働いてくれと何度もお願いしました。

ある日、息子が、駅の近くで駐輪場の受付を募集しているよ、それならお父さんもできるのでは?と提案したことがありました。
そんなことできるか!と聞く耳を持たずでした。

自営業をやってきたというプライドが邪魔したのか、はたまたコミュ障だったので、人と関わるのが苦手だったから?、理由はわからないけれど、外で働くことを頑なに拒否していました。
あの時、夫が家族のために必死になってくれていたら、家族がバラバラになることはなかったかも。

そして、寂しい最期を迎えることもなかったのかもしれません。

まぁすべてがタラレバです。
夫は亡くなる2年くらい前に、自分の生き方は間違っていたと言っていたけれど、時すでに遅しだったのです。

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