おひとり様の老後

モラハラ夫と別居前、苦しかった年末年始を思い出す。




今朝は冷たい雨の中、仕事に向かいました。
雨だし、寒かったので、暇でした。

ひまはひまで、疲れます。
時間の流れが遅く感じるからです。

モラハラ夫から逃げて、もうすぐ丸8年、やっと平和な年末を迎えています。

毎年12月になると、苦しかった年末を思い出します。

モラハラ夫は、私が外で働くのを禁止していました。
子供たちを私立の学校に入れてしまったので、家計は火の車だったのに、パートでさえ許してくれなかったのです。

家で内職をしたり、近所でポスティングのバイトなら許してくれたので、それで、なんとかしのいでいました。
自分の中で、もう無理、早く逃げなくてはという思いが膨らんでいき、お金を貯めるために、パートに出ました。
現在も働いているスーパーで、4時間ほどのパートでしたが、夫には内緒でした。

夫と子供たちを送り出してから、パートに行き、お昼過ぎまでには帰ってこれたので、全然バレることはなかったのです。
たまに、夫は、私が家にいるかの確認の電話をしてきて、家の電話に出ないとスマホにしてきました。

パートの合間をぬって、折り返し電話をかけると、「おまえ、どこにいるんだ、何をしてるんだ」、と怒鳴り散らします。
「ちょっと買い物に」とごまかすと、「早く帰れ」と再び怒鳴られました。

夫が忘れ物をしたから、家に帰ると言ってきた時は、パートを早退してタクシーに乗って家にもどりました。
とにかく夫が怖くて、バレないようにするのが大変でした。

最悪だった、年末年始

年末年始、夫は仕事がお休みで家にいます。
内緒で、こそこそとパートに行くことができなかったのです。

お休みの希望を出すと、上司は上司で、一人だけ年末年始の休みを認めることはできないので、なんとしてでも出るようにと言ってきました。

夫に内緒で働いているから、夫がいる時は、働けませんなんて、言えるはずもなかったのです。
大晦日は、買い物に行くとうそをついて、パートにでました。
お正月は、風邪で高熱が出たと仮病をつかって休みました。

こんなこと、何年もやっていたので、いつしか私は年末年始が大嫌いになっていました。
大晦日に、大掃除を手伝わなかったからと、キレて、家を追い出されたこともありました。

いい年したオバサンが、一人でネットカフェで新年を迎えたことも。
私、何をやっているんだろう?いつになったら自由になれるんだろうと思ったものです。

家を出ることになった寸前に、パートで働いていることを、夫に告白しました。

案の定、家にいない女はいらないから、出ていけと言われました。
別居するための最低限の資金は、用意できていたので、いつでも出ていける状況になっていました。

別居して、すぐの年末年始は、人手が足りない時は全部出ますと言って働きまくりました。
誰の目も気にせずに、働けることがとても嬉しくて、大晦日まで出勤し、元旦から働きました。

自由は最高です。
夫と過ごす老後は、考えられませんでした。

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