雑記

明るく見送った榊原郁恵さん、渡辺徹さんはガンより怖い持病があった。




今日は、朝からシトシト雨が降り、どんよりした一日でした。
夜中の3時?4時まで、サッカーを見る元気はなく、日本がPKで負けたことは、朝知りました。
とても残念な結果ですが、また4年後、頑張ってほしいです。

お父さん、帰るよ!明るく見送った榊原郁恵さん

微熱と腹痛で体調を崩していた夫が、10日後にこの世を去るなんて、考えたこともなかったでしょう。
郁恵さんと渡辺雄太さんの会見を見ました。

突然、夫がいなくなるのは、かなりショックだったと思いますが、終始明るい会見に、見ていた私も温かい気持ちになりました。
きっと明るく笑いの絶えない家庭だったのでしょう。
泣き笑いしながら思い出していくという言葉が印象的でした。

会見の終わりには、郁恵さんが「お父さん、帰るよ」と声をかけていました。
肉体はなくとも、魂は今後もずぅっとそばにいて、家族を見守ってくれる、そんな思いを感じました。

ガンより怖い持病があった渡辺徹さん

ホリエモンが、YouTubeで力説していましたが、渡辺徹さんは長い間、糖尿病と闘ってきました。
(ガンより怖い?ガンもとても怖い病気だと思いますが。)

30代でかかったというので、もう30年もの付き合いです。
たぶん食事制限もされていたと思いますが、棺には山盛りの白いご飯を入れたそうです。
もう好きなだけ食べていいよと声をかけたとか。

糖尿病の怖さは、父の闘病生活を見続けてきたので、よくわかります。
父は、目の手術もしたし、足も壊疽で腐っていき、最後は片足になりました。

糖尿病を患った父が足を失うまで・・・
もうすぐ父の命日です。 いつも命日が近づく今頃は、父の闘病生活を思い出します。 父は、40代の頃から糖尿病を患っていました。 糖尿病になり、最初の危機は失明です。 失明の危機は、手術によって回避できたのですが、足の方はだ...

足を怪我しても、痛みがないから全くわからないのですが、ある日、黒くなった指を母が発見しました。
母はよく父の足の指を見ていましたが、看病する側もたいへんだったと思います。

榊原郁恵さんも、本当は食べさせてあげたいという気持ちはあったとしても、心を鬼にして食事制限をされていたのかもしれないです。

私は、父と母が亡くなった後、もっと美味しいものを好きなだけ食べさせてあげればよかったと思ったものです。
突然、逝ってしまった渡辺徹さんの家族もそう思っているかもしれません。

糖尿病の怖さは知っていても、甘いものがやめられない私です。

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