過去の記事で、夫が無年金無保険であることを書いてきました。
先日66歳になりました。
本来ならば、年金を受け取れる年齢に達しました。
自営業なので、年金に加入していたとしても国民年金なので、満額でも65000円ほどだったと思います。
老後の暮らしは、国民年金だけではやっていけないと、巷では言われています。
その65000円でさえ受給できない夫です。
無年金者の老後は、ほぼ生活保護を受給している人が多いそうです。
国は優しいと思います。
年金を納めなかった本人が悪いと、私は思います。
それでも国は、そんな人たちを助けています。
夫が無年金者だと知ったのは、結婚してからです。
当然入っていると思っていました。
結婚した時、夫は38歳でした。
自営業だった父親の後をついだわけですが、夫の父親もまた無年金者だったのです。
母親は年金受給を待たずに、53歳で亡くなっています。
夫の父親は、74歳で肝臓がんで亡くなりましたが、生活費、治療費などは全部貯金を崩して賄っていました。
二人とも、年金を支払っていても、老後に受け取れるとは限らないからと、国民年金に加入していなかったのです。
夫は38歳にもなって、国民年金に一度も入らずでも、督促は全く来ていませんでした。
(不思議ですが、もう払う見込みはないとみられていたのかも)
結婚して夫が無年金者だと知り、私がとった行動
新婚時は、まだ穏やかな夫でしたので、個人年金に加入してもらいました。
私の友人に、生命保険会社に勤めていた人がいたので、家に呼び、勧めてもらいました。
その時に、夫の個人年金、私の個人年金に加入しました。
子供ができた後は、学資保険にも加入しました。
自営業の怖さは、そこからです。
父親が亡くなってから、取引先の業者がみんな撤退してしまったのです。
夫は信用されていなかったのか、理由はわかりません。
みるみる収入は減って行きました。
ところが、二人の子供を私立小に入れてしまったので、家計は火の車となっていきました。

そんな状況でも、私が外で働くことは許してくれず、家で内職をして家計を助けていました。
二人の学費が払えなくなり、私は内緒でパートに出たのです。
今の職場のスーパーです。
夫が出て行ってから、仕事に行き、夫が帰ってくる前に帰宅。
そんな毎日で、その頃が一番つらかったかも。
私が頑張れば、この家は崩壊しない、そう思っていましたが、結局だめでした。
国民健康保険も滞納するようになっていき、個人年金や学資保険は、その時に全部解約してしまいました。
それは、子供たちの学費や生活費に消えていきました。
そんな状態でも私は、子供たちを公立に転校させませんでした。
子供が、「お願いだから、転校させないで。学校だけは卒業させて」と懇願したのと、半分意地もあったと思います。
老後資金も、教育資金も全部消えてしまいました。
今思うと、それが正しかったかはわかりません。
結局、私がどう頑張っても家庭は崩壊してしまいました。
あのまま逃げずに、あの家にいたら、私は精神がおかしくなっていたと思います。
今、貧しいながらも元気で暮らせているのは、やはり感謝なことなのだと思っています。