老後貧困

消えた老後資金、母の預金一千万円は瓦礫の山になりました。




11月だというのに、暖かい一日でした。
ここ何日か、猛烈な寂寥感に襲われています。

息子がいるのに、寂しい。

仕事していても、私は孤独だとふと思ったり。

このような原因不明の寂しさは時々襲ってきます。

今日は、元わが家の近所の歯医者まで行ってきたのだけど、その懐かしい街並みを見て、また寂しくなってしまいました。
なんで、みんなバラバラになっちゃったんだろう。
楽しい日々もあったのに、楽しい日々に戻れたらいいのにと思ったり。

それはもう絶対に無理なんですけど。

やり直せるはずはありません。

なんでこんなことになったんだろうと思うこと、もう一つあります。
実家がなくなってしまったことです。

消えた老後資金、母の預金1000万円は瓦礫の山になってしまいました。

父がまだ元気だったころ、兄と父は共同名義で二世帯住宅を建てました。

私の生まれ育った家が、地域開発にひっかかり、立ち退きになったのをきっかけに、その立退料を元手に1億円の三階建ての注文住宅を建てたのです。

その頃、私はまだ夫と同居中、幸せな頃でした。
夫は、その立派な三階建ての家を見て、おまえの取り分がない、兄貴だけいい思いしやがって。遺産は絶対にもらってこいと言ったのです。

父と母が、元気な頃にです。

元気なのに、遺産をもらってこいというその言葉は、一生忘れられないと思います。

そしてその妬みから、私は実家との付き合いを断絶させられました。
父が具合悪くなるまで、私は実家に帰ることを許されませんでした。

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父は、その家が大好きでした。
一時退院の時は本当にうれしそうでした。
家で死にたい、その願いは叶えてあげることはできませんでした。

母が老人性うつ病になっていましたので、とても老々介護は無理でした。

父が亡くなり、その直後に、家のローンが払えないという大変な状況であることを兄から聞かされました。
そして、一億円の家を売りに出したいという突然の話に、私と妹は愕然としました。

実家がなくなる。

母はどうなるんだ。

話し合いは何度も行われました。

その頃から、兄の体調が悪くなりました。
自営業の忙しさと、借金のストレスから、何度か救急車で運ばれるというようなことも起こりました。

母もその家が大好きでした。

売らないで。
ここに住みたい。
ここで暮らしたい。

母はずっとそう訴えていて、自分の老後資金1000万円を全部、兄に渡し、住宅ローンの支払いにつぎ込みました

(そのようなことは、後から知りました。ボケてしまった今は2000万渡したとも言っています)

ギリギリまで頑張ったのですが、ついに一億円の家は手放すことになりました。

母は、ショックで老人性うつ病が悪化して、認知症へと移行していきました。

しばらくは、近くの貸家で、住むことになり、そこで高齢者住宅に入居するようにすすめたのでした。

一億円の実家はすぐに売れました。そしてまだ築20年、まだ充分住めるのに、その家は取り壊されてしまいました。

母の老後資金1000万円は、取り壊された瓦礫の山になってしまったのです。

母は、その瓦礫の山を見て、泣いていました。
私も妹も、泣きました。

実家がこんなことになるなんて夢にも思っていなかったからです。

元夫は、一億円の家が売られてしまい、今はもうないことを知りません。
それを知ったら、ざまあみろと言うと思います。


母にとって一番大切なものは、父が残したあの家だったのです。
自分の老後を心配するよりも、とにかく家を守りたかったのだと思います。
老後資金、貯めていても、何が起こるからわからないということです。

いつかはやってくるおひとりさまの老後のために、いろいろと準備を始めなければと思っています。

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