年金

肌寒い年金支給日、亡き母の押し入れは粗品であふれていた




4月だというのに、本当に肌寒い一日でした。
年金支給日、スーパーは高齢者でにぎわいますが、雨だったので明日は混むかもしれません。

さっき50代の同僚が入院にしたというlineが来ました。
心配です。

肌寒い年金支給日に、母を思い出す

母は、認知症が進行しはじめてからは、お金の管理はできなくなっていたので、最後の何年かは年金支給日も忘れていたと思う。
今思うと、自分のために残しておいた老後資金を、二世帯住宅のローンにすべてつぎこんでいたのは、脳の老化がはじまっていたのかということ。

それとも自分の老後がどうなるかなんて忘れてまでも、二世帯住宅を守りたかったのかもしれません。
父も母もあの家が大好きだったからです。

消えた老後資金、母の預金一千万円は瓦礫の山になりました。
11月だというのに、暖かい一日でした。 ここ何日か、猛烈な寂寥感に襲われています。 息子がいるのに、寂しい。 仕事していても、私は孤独だとふと思ったり。 このような原因不明の寂しさは時々襲ってきます。 今日...

今は跡形もない実家ですが、目をつぶると母がいた和室にネコが餌を食べにきた風景や、みんなでピザを食べた風景などいろいろと思い出します。
そこにあった仏壇は、兄夫婦の家にありますが、もう何年も行っていません。

年金支給日に銀行からもらえる粗品、母の押し入れにあふれていました。

母がまだ一人で出歩くことができた頃、年金支給日に銀行で粗品をもらうのが楽しみだったようです。

実家の断捨離はトラック二台ありました

実家の断捨離をした時に、粗品と思われるものがたくさん出てきました。
おそばだったり、うどんだったり、お菓子やタオル、ティッシュなど。
銀行の名前が入っていたので、それが粗品だとわかったわけですが、母は大事に押し入れにしまっていました。

コレクション?使わなくては意味がないのに。
結局ほどんどのものを断捨離しました。

母は、何かをもらうということ自体が楽しみだったのではないかって思いました。

銀行側からは、年金受け取りはぜひわが銀行でといろいろなサービスを競いあっていたようだけど、今でもそうなのでしょうか。
母の年代は粗品というものが大好き?戦後の大変な時代を経験しているからかもしれません。

年金支給日に粗品をもらい、お金をおろして買い物をして帰ってくる、それが母のささやかな楽しみだったのだと思います。

私もあと何年かしたら年金受給者になります。

私も、母の事は言えません、ただでもらえるものが大好きです。
粗品、食べ物とか消耗品は喜んでいただくけれど、お皿とか陶器などはもういらないかも。

いらないものは、無料でももらわないって決めました。

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