今日はなんだか身体がとてもだるいです。
季節の変わり目だからでしょうか。
今日は二人の同僚が早退しました。
一人はお姉さんが危篤で。
午前中できりあげて、お姉さんの元にかけつたのですが、間に合わなかったそうです。
先ほど、「死に目に会えなかった、間に合わなかった」と泣きながら電話をかけてきました。
どう励ましていいのかわかりませんでした。
親の死に目に会えないことはいけないことなの?
姉を亡くした同僚は、なんでもっと早く会いに行かなかったのかと自分を責めているようでした、息をしている時に会いたかったと。
それで私は自分のことを思い出しました。
私は父の時も義父の時も死に目には会えませんでした。
父の場合は、亡くなる一週間前にお見舞いに行った時に、父の死期が近いことを感じたのでお別れの言葉をかけてきました。
「お父さん天国は怖い所ではないから安心して、死は怖いものではないから」というようなことを言った覚えがあります。
父は安心した顔をして天井を見ていました。
一週間後の朝、仕事中に父危篤の知らせが入りました。
それからすぐに母から連絡が来て亡くなったと。
間に合いませんでした。
死に目には会えませんでした。
義父の最期の時は、私は義父の介護に疲れはて、当時5歳だった娘を連れてアパートに帰ってしまったのです。
担当の医師にあとどれくらいでしょうか、と聞いてしまったのです。
今夜が山だと言うなら残るつもりでいましたが、医師は今すぐどうのということではない、あと一週間くらいではと答えました。
それを聞いて安心し帰宅して爆睡。
夫と義妹夫婦は病院に残ったのですが、その夜に容態が急変、明け方に帰らぬ人となったのです。
夫は家にジャンジャン電話をかけてきたようですが、電話の音量が小さくなっていたのと爆睡していたので気が付かなかったのです。
夫には後で、物凄く怒られました。
親の死に目に会わないなんて、なんてバカな野郎なんだと罵られました。
心の中では、「私は嫁だから赤の他人、別に死に目に会わなくても親不孝者なんて誰も思わないでしょ、とくにお義父さんは」と思っていました。
義父に関しては毎日病院に通い、介護をしてきたのでもう充分な看取りはしていたと自分では思っていたのです。
ところがモラハラ夫は、何年も私を責め続けてました。
おまえは親父の死に目に会えなかった最悪の嫁だ!って。
昨年からのコロナ禍で、看取りも難しくなってきました。
特にコロナで亡くなった場合は、お別れさえできないのです。
最期の時に立ち会えないという覚悟をしなければなりません。
たとえ死に目に会えなくとも、できる時にできることを。
後悔のないようにしたいものです。