母親が嫌い、そんな検索ワードで私のブログに来てくださる方が、毎日います。
その検索ワードでたどり着いたのがこちらの記事だと思います。
母親が嫌いという言葉を検索するという意味は、母親を嫌い、そんな自分も嫌いだから?
これだけ毎日、母親が嫌いの検索ワードで見にきてくださる方がいるということにびっくりしています。
母親を嫌いな人が本当に多いことをあらためて知りました。
私は、母を嫌いではありません。
でも、好きでもありません。
今、高齢者住宅に住む母に会いに行ったり、病院に連れて行ったりするのはただ義務感だけです。
私は、母に愛されていませんでした。
それはその後の人生で、いろいろな影響を及ぼしました。
一番は、子供の愛し方がわからないということ。
愛されていないのだから、愛し方もわかりませんでした。
今、一人になり、いろいろと考える時間ができて、子供たちには本当に申し訳なかったと思います。
私と夫が別居に至った理由。
もしかしたら私にも原因があったのかなと最近思います。
充分な愛情を注いでもらわなかった人間が、温かい家庭を作れるわけがないのです。
愛を知らないもの同士が、同情だけで結婚したのですからうまくいくわけがありません。
(夫も、自分の母親を憎んでいました。)
母親を嫌いという感情に、罪悪感を持つ必要はないと私は思います。
たとえば虐待されてきたとか、ネグレストだったとか。
そんな母親だったら、好きになんて一生なれないと思います。
母親が嫌いという感情は、何かしら原因があるわけで、受け入れてもいいのだと思います。
私の妹も母が嫌いです。
兄も母が嫌いです。
年老いてお荷物になったから?
そうではなくて、母の性格が、昔から嫌いだったとか。
そんな母を私はかわいそうだと思います。
私を愛してくれなかった母でも可哀想だと思い、憐みを感じます。
どんな育て方であっても、私たち3人を育ててくれました。
母を好きになることはたぶんできないと思うけれど、これからも母には会いに行きます。
憐みの気持ちと長女としての義務感があるからです。
温かい家庭で、子供にたくさんの愛情を注いだ母親は、子供に嫌いといわれることはないと思います。
その反対に、愛情が重すぎたという方もいるでしょう。
母親自身がまいた種が、そんな感情に育ったのだと思います。
私の母は、兄や妹に嫌われていることは知りません。
でも高齢者住宅で楽しく暮らしています。
母親との距離を置くために、このような施設があると、高齢者住宅の所長は言っていました。
介護に疲れて嫌いになっていく、そんな方もいると思います。
思い切って施設に入れるべきだと私は思います。