おひとり様の老後

ドーハの悲劇覚えていますか?あれから33年私は一人になった




ワールドカップ、盛り上がっています。
私の推し、中村敬斗さんが初得点!やっぱりかっこいい人でした。
このままベスト16、ベスト8と勝ち進んでほしいですね。

思い出す、ドーハの悲劇

森保監督を見ていると、ドーハの悲劇を思い出します。
シニアの皆様も、きっと脳裏に焼き付いている方が多いと思います。

私もそのシーンを生々しく覚えています。
あれは、夜中だったか朝方だったか、夫と二人で見ていました。

1994年開催のFIFA ワールドカップ・アメリカ大会への出場国を決めるアジア地区最終予選において、日本は第4戦終了時点で勝ち点・勝率において「予選グループ1位」となり、初のワールドカップ本戦出場に王手をかけていた。

しかし、最終第5節イラク戦において、試合終了間際まで2-1でリードしていながら、ロスタイム残り数秒でコーナーキックで同点ゴールを入れられた。その結果、韓国に勝ち点で並ばれ得失点差で敗れて、「予選グループ3位」となり予選敗退となった。引用Wikipedia

1993年にJリーグが発足し、日本がはじめてワールドカップに出場できるかの予選。
悲しい結果となり、今でもドーハの悲劇を呼ばれる伝説の試合になりました。

それにしても、この33年間で、日本は本当に強くなりました。

33年後、私は一人になった

私は1992年に夫と結婚、1993年に娘が生まれました。
ドーハの悲劇を見ていた頃、娘は9カ月だったので、隣の部屋ですやすや眠っていたのかもしれません。

新婚当時から、モラハラがひどくなっていったけれど、まだ我慢できる範囲。
それでも、実家に何度も逃げ帰った記憶があります。
当時は新築の2DKのアパートに住んでいました。

そして義父が亡くなり、元わが家に引っ越しました。
何度も離婚を考えながらも、夫はいつか変わるかもと期待し、23年の結婚生活を続けてしまいました。

33年たち、娘も息子も自立、夫は他界、私は一人になりました。
あんな夫でもいなくなったら寂しかったのは、意外でした。

娘も息子も父親や元わが家のことなど忘れて、今を生きています。
私は時々、一人だけ取り残されたような気持ちになります。

それでも前を向いて生きていかねば!

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