おひとり様の老後

私は専業主婦に向いていなかった、これからも一人で生きていく




亡き夫の後始末は、まだ続いています。
しばらくは水道管工事の見積もりで、元わが家に出向く予定。
これが終わらなければ、元わが家は売れないようです。

来週は市営墓地に名義変更に行きます。

なんだかもう疲れてしまいました。

私は専業主婦には向いていなかった

最近よく思うのは自分は専業主婦には向いていなかったということ、良い妻ではなかったと思います。

熟年別居の原因は、夫のDVやモラハラで悪いのは全部夫、自分は何も悪くないみたいなことを書いてきましたが、実は自分にも非があったと思うのです。

たぶん夫の理想とする妻は、家にいて家事を完璧にこなし、家を守る存在だったのだろうと思います。
私はそれができませんでした。

たぶん昭和の典型的な亭主関白男だったのだと思います。

私が専業主婦に向いていなかった理由

・家事が苦手、ズボラな人間です。
 掃除なんか本当に手抜きもいい所です。
 洗濯も好きではないし・・・

だから夫がイライラし、モラハラにスイッチが入ってしまったのかと思います。

私は良妻賢母とは程遠い主婦でした。

シニアブログに属するようになって、それがすごくわかりました。
皆さんがアップする料理の数々が、美味しそうなこと。
食べたいな~なんて思いながら拝見しています。

・家にじっとしているのが嫌い

とにかく家にこもるのが嫌いでした。
外に出て働いている方がよかった、これは今もそうです。
身体は疲れても、たとえパートでも外に出て、少しでも他人様のためになる仕事をしている方がいい。

・自由が好き

とにかく束縛が嫌いで、自由が好き。
今は帰宅の時間も気にせずにふらふらできる、これって最高です。
一人暮らしの今は、自由すぎるくらい自由です。

専業主婦として私を家に閉じ込めていた夫

結婚してすぐは夫の仕事も順調でしたので、私が外に出て働くことを許してくれませんでした。
新婚当時、許されたのは家でできる内職です。
一本3円くらいの電線を作る内職で、頑張っても月1万くらいしかいかなくて、それが私のお小遣いでした。

実家に帰るのも、お盆とお正月の年二回と決まっていたし、門限までありました。
門限を一分でもおくれると家に入れてくれないなんてこともありました。

私の夫が異常だったのだと思いますが、奥さんの外出にいい顔をしない旦那さんって未だにいるようですね。

昭和生まれは、亭主関白の傾向が強いのかなって思います。
亭主関白は、一歩間違えればモラハラになります。

老後の一人暮らし、不安はないと言ったらうそになります。
自由できままは、大きな利点ですが、扶養してくれる人はいないので、自分の力で生きていくしかない。

最近は体力も落ちてきて、いつまで働けるのかという不安も出てきました。

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