ようやく三が日も終わり、日常がもどってきました。
年末年始のガヤガヤが苦手です。
ほぼ仕事だったけれど、家族連れの買い物が多いこと、多い事。
私が孤独を感じた理由はこれだったのかも。
いつになく独り身が身にしみて、子供たちが帰省しないことに寂しさを感じていたのです。
骨折した時も、夫が急逝した時も、本心は子供たちに助けてほしかった。
帰省しない子供たち
元旦に娘宅に行って、楽しい時間を過ごしたけれど、息子には会えていません。
超忙しいようです。
あんな夫でもいなくなって、寂しく過ごした年末。
子供たちは、私が寂しいと感じてるとは、思っていなかったようです。
嫌いな夫がいなくなって清々してると思っているみたいで。
そうじゃないんだけどな・・・・
夫の後始末は、自分一人でやって子供たちに迷惑をかけないようにしようと思いつつ、本心は手伝ってほしかったし、そばにいてほしかったのだと思います。
なんでも手伝うよと、口では言いつつ、12月になってから帰省しなくなった息子です。
現在も、自分一人ではできないことがあって、息子に来てほしいと頼んだのですが、今月中旬以降でないと来れないという。
ゲーム三昧で遊んでばかりいると思っていたのですが、実は深刻な問題を抱えていました。
私に心配をかけないように、だまっていたとのことでした。
それが今月中旬には解決するらしい、もしかしたら卒業できないとか?
子供に期待しない
子供に頼らず生きていくと決めながらも、どこかで助けてほしい、寄り添ってほしいと思っていた私。
甘えたかったのだと思うけれど、期待しても自分の思い通りにはならないこと、すごくよくわかりました。
子供たちが、自分の人生を生きているのだから、それが一番です。
私はもう、子供たちに期待するのはよそうと決めました。
老後は面倒をみてもらうとか?それはとっくにあきらめていました。
兄を溺愛していた母を思う。
二つ上の兄を溺愛していた母、二世帯住宅に住み始めてから、兄は次第に母を煙たがり、敬遠するようになって行きました。
こんなこともあって、お嫁さん側についた兄。
母を施設に入れてからは、ほぼ会いに行く事もなかったのです。
母はどれだけ寂しかっただろうと思います。
そして老人性うつ病から、認知症へ移行していきました。
施設で、どんなに寂しい思いを抱えて生きていたのか、今になって母の孤独がわかるようになりました。
でも、亡くなる前、最後の三か月、母は寂しさも、孤独も、嫌なことをすべて忘れていました。
兄夫婦、妹夫婦、私とのこと、良い思い出しか覚えていなかったのです。
子供たちには、良くしてもらった、感謝をしていると言う言葉をのこして、亡くなりました。
認知症の方って、本人は幸せな気持ちで過ごしていると聞きました。
辛かったこと全部忘れちゃうのだから、そうかもしれません。
母の晩年を思い出し、今後はますます子供たちに期待しないでおこうと思ったのでした。