熟年別居

息子が、お葬式を出そうと言い続けた理由がわかった。




できることを一つずつやっていこうと、今日は公共料金の解約、停止の手続きをしようと思ったけれど、祭日でお休みでした。
もう63歳の脳は爆発しそうです。

先日、息子が帰省した時に、お父さんに最後に会ったのはいつだろう?という話になりました。
私が最後に会ったのは、8月、その時も怒鳴られた記憶があり、まだ元気だったんです。

父親に最後に会ったのは?

私も息子もまったく覚えていなくて、新しいスマホを届けに行ったことは覚えていて。
いつだっけ?と話しながらも、結局は思い出せず。

そして、自分の過去のブログ記事を読んでみたら、4年前の3月だったということがわかりました。
ブログは備忘録になるので、書き続けてよかったと思います。

別居中の夫の安否、息子への遺言
春めいた一日でした。 テレビで見ましたが、鎌倉小町通りはいつもの賑わいにもどりつつありました。 見て感じたのは若い人が多いということです。 若い人たちは、新型肺炎に関して危機感があまりないと感じました。 自粛自粛ででかけ...

自分で書いた記事を読み、また泣いてしまいました。

最後に会ったこの時、夫はまだ普通のお父さんだったと言ってた息子、二人でデニーズに食事に行ったことも思い出しました。
この時の父親から託された言葉を息子は覚えていたのです。

覚えていたと言ってもうっすらだったようですが、お父さんのお葬式を出してあげようと言い続けた理由がわかりました。

直葬はやめてくれ、ちゃんと葬式を出してくれ。

これは残念ながら守れませんでした。

夫が荼毘にふされる日まで「お父さんのお葬式を出そう」と言い張った息子、じゃあ解剖で傷だらけになった顔、腐敗した身体を見ることはできるの?会いに行く?
と聞いてみたら、息子はだまってしまい、父親を一人ぼっちで旅立させることにやっと納得したようでした。

お父さんに何かあったら電話するから、すぐに来てくれ

こう言っていた夫ですが、ここ3年は、息子ではなく私に電話をしてくるようになっていました。
自分がホームレス化してガリガリになった姿を息子には見せたくなかったのだと思う。

息子が会いに行くよと何回も電話しても、今、具合悪いからまたにしてくれと断り続けた夫でした。
息子は、断わられ続けても会いに行けば良かったと後悔しています。

最後に会ったのは4年前、最後の晩餐はデニーズ。

夫は、きっと息子に会いたかったに違いない、会わせてあげたかったという思いがあふれ、これを書いていて、また涙があふれています。

今、正直いってすごくつらいです。
夫が亡くなって、死後手続きや相続の手続き、全部一人でやらないとならないからです。

何年か後、また自分のブログを読み返した時、あの時は大変だったと、思い出す日が来ることを信じて、頑張ります。

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