おひとり様の老後

大家族から一人暮らしに・・・何もすることがなくなってボケ始めた母




一人暮らしをスタートして4年目に入りました。
お休みの日は、誰とも一言も話さないことがあります。

買い物に行って、店員さんと、やりとりをするくらいです。
時々、独り言を言っている自分に気が付いたりします。

どうしても誰かと話したくなったら、娘や息子、妹とLINE電話で話します。
みんな忙しそうで、できれば邪魔したくないんですが。

私の母は何もすることがなくなってからボケ始めた

私の実家は大家族でして、一時は10人暮らしの時も。
両親、祖父、兄、妹、私、そして叔母も一緒に住んでいた時代もあったのです。

父が食堂を経営していて、母はお店を手伝ったり、趣味の洋裁をやったり、買い物にもよくでかけていました。
とにかく忙しい人でした。

大家族の中で暮らし、寂しいと思ったことなど一度もなかったと思う。
父の晩年は、糖尿病で長い闘病生活になり、母は毎日、父の病院へ行き付き添っていました。

70代後半の頃、ヘトヘトだったと思います。
たまには休めば?と行っても、言うことを聞かずに通い続けていました。

お店は兄夫婦が切り盛りするようになり、二世帯住宅に住むようになった母は、もうやることがなくなっていったのです。
母がやることは、父の介護のみ、最後の方は義務的な気持ちで病院へ行っていたと思います。

老人性うつ病から、認知症へ

父がなくなり、母は老人性うつ病になり、その頃から、急激にボケていきました。

孤独と喪失感からうつ病になった母、老人性うつ病から認知症へ、
老人性うつ病から、認知症へ 母が亡くなって、もうすぐ二年になります。 月日がたつのは本当に早い。 母の夢をよく見るのですが、それは恰幅がよく、大家族を仕切っていた頃の姿です。 晩年は、認知症になって、最後は枯れ木...

老人性うつ病から認知症に移行していく高齢者は多いようです。

二世帯住宅でひとりぼっちで過ごしていた母は孤独で、何もすることがなかったと思います。
そしてサ高住入居、最後は入退院を繰り返しながらも、特別養護老人ホームの自室で息を引き取りました。

認知症が進行していってからは、寂しいと言わなくなった母でした。

子供の世話、親の介護、やっている時は大変です。
だけど、人は誰かのためにお世話をする時間が一番幸せなのかって思います。

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