パート

人生は修行の場、別居中の夫の口癖でした。




今日は、昨日とうって変わって、肌寒い一日でした。
読者の皆様は、体調崩されてませんか?

昨夜は身体が熱くなり、目が覚めたので熱を測ってみました。
37度ちょうど、微熱ってヤツです。
空腹にはよくないらしいけど、真夜中に解熱剤を飲んで、また寝ました。

朝、すっかり熱は下がり、喉の痛みもなくなっていたので、休まないで、仕事行ってきました。

人生は修行の場、夫がよく言っていた言葉です。

別居中の夫が、よく言っていたのは人生は修行の場で、苦の娑婆だという言葉を使っていました。
夫の母親、つまりは私にとっての姑もこの世は苦の娑婆だという考えの持ち主でした。

私たちのいま生きているこの世界を、仏教では「苦の娑婆(しゃば)」とよんで、きらっています。
確かに、何事も自分の思い通りには事が運ばず、周りに気をつかったり、相手と嫌な思いで付合わなければならず、まさに、この世はままならない、苦悩の連続なのです。引用 私と仏教

苦の娑婆とは仏教の言葉ですが、その後に続く言葉に励まされます。

苦しい、つらい思いをして、それに耐えて一所懸命に努力して目的を達成できたときは、こんな嬉しい事はなく、むしろ、楽々として仕上がったときよりも、苦心してできたときの方が、喜びの感動はくらべものにならないくらい深いものがあります。
まさに「苦あれば楽あり」の諺(ことわざ)のとおりです。とすると、苦しみは喜びの種子ということになります引用 私と仏教

私が結婚する前に、義母は他界していますので、会ったことはありません。
だけど、元わが家で義母の日記を発見し読んでしまいました。

それはそれは苦しい人生だったようです。

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60代一人暮らし、つつましく生きる

この世は、苦の娑婆が口癖だった義母に育てられた夫は、生きることは修行だという考えが染みついていたように思います。
かわいそうな人だと思って、結婚したのが大きな間違いでした。
人の考えや生き方は、そう簡単に変わるものではなかったのです。

私は、今まで、苦しいことがあると、わりと逃げてばかりいたような気がします。
苦難は乗り越えずに、逃げる、そんなこと繰り返していたような。

62歳で転職、人生は修行だと、毎日思う

今は毎日が修行です。

時給は安くてもいいから、もっと気楽な職場にすれば良かったかもと思います。
たとえば近所の揚げ物やさん、店員募集してました。

コロッケ3個ですね~と言って包んであげる。
なんだかラクな仕事に見えてしまったのです。

楽に稼げる仕事なんてないと思うけれど、隣の芝生はどうしても青く見えます。
苦しみは喜びの種であると信じ、もうしばらく頑張ろうと思います。

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