予想よりも早く雨が降り出して、帰宅時にはザーザーぶりになっていました。
こんな日は気持ちもどんよりしています。
昨日、石原慎太郎さんの散骨のニュースを見ました。
意外でした、さぞかし大きなお墓をお持ちなんだろうと思っていたからです。
海に散骨してほしいとは、故人の希望なんだそうです。
散骨の場所が、私がイメージしていた場所と同じだったので、いずれ私も石原慎太郎さんと同じ海に眠ることになるんだと思いました。
決めていること、夫と同じお墓には入りません
現在別居7年目、夫のことを思い出さない日の方が多くなりました。
さんざん苦しめられた夫と死んだあとまで一緒にいたくないし、お墓を重要視していないので、夫と同じお墓には入らないと決めています。
先祖代々のお墓は、いずれ長男である息子が管理していくことになりますが将来的には墓じまいを勧めるつもりです。
息子はお墓の場所も知らないと思います。
小さいころはお墓参りも一緒に行きましたが、覚えていないと思う。
近年は墓じまいをする人が増えているそうです。
子供がいない人は、お墓の管理をする人がいないという理由から、先祖代々からのお墓もなくしてしまいます。
共同墓地に移したり、樹木葬にしたり、海に散骨をするなど。
お墓をなくしてもいろいろ方法はあります。
新型コロナウイルスの影響で、葬儀のあり方も、お墓のあり方も変わってくると思います。
先日、オンライン法要というのをテレビで見ました。
法要とかお墓参りというのは故人の供養のためというのが表向きの理由ですが、実は生きている人のためにあるという話を聞いたことがあります。
つまりお墓参りに行ったとか、法要をして供養をしたという満足感だったり、安堵感です。
父のずいぶん前の法要で、お坊さんが故人を思い出すことが一番の供養になるとおっしゃっていました。
その通りだなと思いました。
オンライン法要を見て、やっぱり法要とは生きている人のためのものだと感じました。
海への散骨をのぞんでいます。
私自身は、ずっと海への散骨をのぞんでいます。
息子にも海に散骨してねと話してあります。
決めていたのが葉山の海、石原慎太郎さんの散骨場所でした。
離婚をしていないので、元わが家のこと、お墓のこと、いざとなったら考えなくてはなりません。
煩わしいし、関わりたくないと思っていても、籍が入っている以上は逃げることができません。
私と夫、どちらが長生きするかはわからないけれど、長男である息子の手を煩わせたくないです。
元わが家のお墓には、私の次女も眠っています。
それが気がかり。
一緒に海に散骨してもらいたい。