コロナウイルス、本当にしつこいです。
今度また、新しい変異株が現れたようですね。
オミクロンの次は何?
冷めた目で、ニュースを見ていました。
人生100年時代と言われているけれど、生きていくのは大変だって、この2年ですごく感じています。
私は、とてもとても100歳まで生きぬく自信はありません。
100歳まで生きたいとは、思いませんし。
コロナがなかったら、母の最期を看取れたのか?
そんなことを時々考えます。
昨年秋、母は入所していた介護施設で、看取り介護を選びました。
なかなか入れない特別養護老人ホームに入所できて、喜んだのもつかの間、母は入退院を繰り返しました。
老人施設は、医療行為ができないので、血圧が低い、嘔吐を繰り返しているなどの理由があると、すぐに救急搬送になります。
それで母は何度も入退院を繰り返した。
コロナ禍だったので、入院するたびにPCR検査を受けて、可哀想でした。
当時は、病院の前で救急車が何台も待機しているのを見ました。
入院難民?おおげさではなく、本当だと思いました。
看取り介護を選択して一か月後に母は旅立った。
その一か月の間に、母の姉妹たち、兄一家、妹一家、順番で会いに行きました。
コロナ禍だったので、面会は一週間に一組って決められていたのです。
面会も部屋まで入っていくことが許されず、エレベーター前に車いすに乗せられた母に会いました。
時間も15分と決められていた。
忘れもしないのは、母が亡くなる一週間前のこと。
もう目は半開きで、口では苦しそうに息をしていた。
施設の看護師の方は、もう母の死期が近いとさとっていたと思う。
そんな状態なのに、母は電動車いすに乗せられて連れてこられた。
こんな状態なのに動かす?
母は苦しそうに、部屋に帰りたいと言いました。
息も絶え絶えにです。
「お母さん、ありがとう、よく頑張ったね
また来るよ、部屋で休んで」
それが最後の言葉になりました。
コロナ禍でなかったら、母の個室に見舞うことができたかもしれない。
母の最期の時を看取ることができたかもしれない。
そんなこと考えます。
母の臨終は、日曜日の早朝で、誰にも看取られることなくあの世に旅立ちました。
そして今、思うこと。
自分自身も、今入院したら、誰にも会えなくなってしまう、孤独との闘いになるだろうと思ったのです。
今、入院中の高齢者も、孤独と病と闘ってる方が多いのではないでしょうか。