昨日、認知症母の一日葬を無事に終えることができました。
秋晴れの中、母の大好きだった実家近くの葬儀場で、ほぼ家族のみで行いました。
葬儀屋さん曰く、今は小さなお葬式が主流なんだそうです。
コロナのせいで、お葬式の在り方も大きく変わったようです。
棺に収まった母の顔が変わっていたのに、驚きました。
がりがりに痩せて骸骨のようになっていた母の顔はふっくらとし、きれいにお化粧されていました。
顔の中に、綿を入れているようです。
きれいだったけれど、人相がすっかり変わり、これは母ではないと違和感を感じました。
母の棺には、大好きだった五木ひろしのコンサートのパンフレット、チケット、サ高住でいただいた色紙など思い出の品を入れました。
最後はたくさんの花で埋め尽くしました。
もっと優しくしてあげればよかった。
棺に納められた母を見て、こう思ったのは私だけではなかったと思う。
たぶん、兄も兄嫁も、妹もそう思ったのではないかと。
母は認知症になり変わっていきました。
認知症の家族がいらっしゃる方はわかると思いますが、病気だと理解しているつもりでも、受け入れがたいことがたくさんあったのです。
で、つい冷たい対応をしてしまった。
お母さん、優しくできないでごめんね、育ててくれてありがとう、そしてたくさんの思い出をありがとうと声をかけました。
兄も妹も泣いていました。
葬儀が終わり、私が母の遺影を抱いて霊柩車に乗りました。
これがまたつらかった。
壊されてしまった元実家の近く、母が毎日歩いたであろう商店街を通ったのです。
母が大好きだった地元です。
地元の街並みを見て、たくさんのシーンが思い出されてきました。
お祭りに行ったこと、一緒に買いものにいったこと、両親と妹と4人でランチにいったこと。
母が大好きだった街にお別れしながら火葬場に向かいました。
ここも父と同じ場所。
10年前と変わっていたのは、火葬の時間が短くなったことです。
40分もかからないで、終わりました。
火葬が終わり、金属が燃え残ったことを指摘されたのですが、それは昨年大腿骨骨折し手術で入れた人工骨だったのです。
あんなに大きな金属が母の身体に入っていたとは。
年老いてからの手術は、身体に負担を与えてしまったと感じました。
コロナ禍のお葬式では会食を省く方が多いようですが、母の場合もこれで終了です。
無事終わった安ど感と、もう会えないと思う寂寥感でいっぱいになりました。
意外だったのは、喪主である兄が号泣していたこと。
母は兄を溺愛し、その愛情が重すぎて、母を嫌いになったと思っていたのです。
お嫁さんとの間に挟まれて、お嫁さんの味方をするしかなかったのかと。
本当は、兄も母が大好きでかけがえのない存在だったのではないかと感じました。
母の遺骨と遺影は、兄の家(現在は貸家)に収まりました。
母は骨になって、地元に、そして兄の元に帰りました。
親孝行したいと思った時には、親はいない。
本当にその通りだと思う。
今回、娘は楽天市場で喪服をレンタルしました。
びっくりしたのは、アクセサリー、バッグ、くつ、ストッキングまでついていました。
三泊四日でこの値段。
葬儀の翌日には、配送業者が取りに来てくれるそうです。
急に太ったとか痩せたとかでサイズが変わった時には、便利だと思いました。
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あさってから仕事に行きます。
早く仕事をしたくなりました。