認知症

苦労の多い人生だったのに、感謝してこの世を去った母




引き続き、母のことを思い出すと涙が流れてきます。

でも涙もだいぶ枯れてきた、痛いのは鼻の下です。
鼻をかんでばかりいるので。

苦労が多かった母の人生

母は5人姉妹の長女として、後継ぎ的な役割をしてきました。
弟がいたけれど、幼少時代に亡くなっています。
もう一人妹も亡くしていて、昭和の初期は医療が発達していなくて些細な病気でも亡くなる子が多かったそうです。

私にとっての祖母は母が10代の時に早世したので、母はまだ小さい妹たちの面倒もみてきました。
長女で後継ぎとなり、自分の好きなように生きられなかったといつも話していました。

父が働き者だったので、二人で小さな食堂を切り盛りしていました。
昭和の初期生まれって、本当に働きものだったと思います。

その後、親戚とのトラブル、お嫁さんとのトラブル等々本当にたくさんの苦労をしてきた母の人生でした。

子供は三人、一番心配かけたのは私かな?
DV男と結婚し、しょっちゅうあざを作って実家に帰っていましたから。

大好きだった二世帯住宅を手放し、目の前で壊されるのを見た時はさぞつらかったと思います。
まだまだ住める家をブルドーザーで壊していく、それは私にとっても見るに堪えない現実でした。

消えた老後資金、母の預金一千万円は瓦礫の山になりました。
11月だというのに、暖かい一日でした。 ここ何日か、猛烈な寂寥感に襲われています。 息子がいるのに、寂しい。 仕事していても、私は孤独だとふと思ったり。 このような原因不明の寂しさは時々襲ってきます。 今日...

その後は、お嫁さんに追い出されるようにしてサービス付き高齢者住宅に入居して、一人で寂しい晩年を過ごしました。
母が一番、恐れていたのは自分の脳が壊れていくこと、認知症の悪化です。

のちに妹が母の日記を発見。

自分が壊れていく恐怖を書き続けていたそうです。
「どうしよう、子供たちに迷惑をかけたくない、頑張ろう。」そんな言葉の数々

頑張ろうって、頑張っても治らないのに・・・かわいそうな母。
晩年は睡眠薬を手放せない毎日でした。

そしてコロナウイルスの流行。

以前にもまして、孤独を深めていく毎日、母は自分の部屋でボッーとして過ごしていた日が多かったと思います。。

母は自分の死期が近いことを悟ったのか。

認知症のおかげで.過去のつらいことはすべて忘れ、寂しいという感情もなくなり、私たち子どもへ感謝の言葉を残して旅立ちました。
あんなに冷たくされていたお嫁さんにも感謝して。

母に負けないくらいの苦労の多い生き方を選んでしまった私ですが、私も母のように、みんなにありがとうの言葉を残し感謝して、人生を終えたいって思いました。

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