朝は気温がグンと下がり、長袖を着て職場に向かいました。
この寒暖差に自律神経が乱れそうです。
今日は、仕事中、なんか急に寂しさにおそわれて、その寂しさの正体がなんだかわかりませんでした。
・一人暮らしだから?
・母との別れが近づいているから?
・もう家族と住むことはないから?
私はなんのために生きているのかなんて、思った。
そんなこと思っていたら、仕事が急に忙しくなって、「寂しい」という感情はスーッと出ていきました。
これから私は一人で、誰にも迷惑をかげずに生きていかなければならないんだから、寂しいなんて感傷に浸っていられません。
好きなもの食べて、自分をいたわるのも大事かもって思いました。
熟年別居7年目に入ったけど、やはり息子との暮らしは楽しかった
息子が中三の時に、二人で家を出て、それからずっと助け合って生きてきました。
やはり一人より二人だとなんでも心強かったし、楽しかったと今更ながら思います。
今日は、別居の原因について書いてみたいと思います。
夫のDVとモラハラで、しょっちゅう家を追い出されていました。
それは結婚当初からで、実家に帰ったり、友達の家に行ったり、子連れで妹の家に泊めたもらったり。
月に一回は追い出されていたかも。
もしかしたら夫は一人が好きだったのかもしれないって思います。
別居直前は、ネットカフェに泊まったり、DVシェルターに逃げたこともありました。
いろいろ点々としていたので、とにかくゆっくり眠れる部屋が欲しかった。
それで逃げ場所として借りたのがワンルームのアパートだったのです。
夫は息子の高校受験の邪魔をしました。
教科書をやぶり、受験は行かせないからと脅す。
いつからか、夫のモラハラやDVは子供たちへも向かっていったのです。
「お母さん、もう逃げよう。
俺もつれていってくれないか、なんでも協力するから」と息子は言いました。
それまでは、「離婚はしないでくれ、がまんしてくれ」と言っていたのです。
最後は、二人セットで追い出されていたので、息子も父親に嫌気がさしていたのだと思います。
とりあえずの逃げ場所として借りたワンルームに、一泊二泊と泊まると、もうあの牢屋のような家に帰りたくないって思いました。
どんなに貧しくても、ここで頑張ろうと思ったのを覚えています。
その後は、夫からの電話攻勢、あげくに居場所がばれて、訪ねてきては怒鳴られるといういろんな修羅場を通ってきました。
いろいろな修羅場を通ってきて、今があります。
やっとつかんだ平穏な暮らしです。
今思うと、私と夫は、結婚には向いていなかったのかと。
仕事がなくなった夫は、もう妻子を養う気持ちなど全くなかったのです。
だからといって離婚をする気持ちは全くなくて、何度も何度も離婚届けはやぶられ、激昂しました。
私が離婚に向けて調停や裁判を起こさないのは、この平穏な暮らしを壊したくないからです。
たとえて言うなら、寝た子をおこしたくない。
一人で静かに暮らしている夫に離婚を請求したら?
また怒りのスイッチが入るだけです。
養育費も婚姻生活費も、もちろん年金分割もない金銭的には不利な別居ですが、貧しくても、この平穏な暮らしを選んで正解だったと思います。
夫との異常な23年の結婚生活を「毎日が発見ネット」に連載しています。
今回は子供たちに向かっていったモラハラについて書いています。
よろしかったらご覧ください。