もうすぐ父の命日です。
いつも命日が近づく今頃は、父の闘病生活を思い出します。
父は、40代の頃から糖尿病を患っていました。
糖尿病になり、最初の危機は失明です。
失明の危機は、手術によって回避できたのですが、足の方はだめでした。
糖尿病を患った父が足を失うまで
まず予兆のように現れるのは、歩けなくなること。
血液の流れが悪くなり、血行障害をおこすのです。
そして足が前に出なくなり、よく転んでいました。
散歩中に転んで、家族が迎えにいくなんてこともよくありました。
最初は、単なる老化現象と思っていましたが、違いました。
血行がよくなるように手術もしたのですが、いっこうによくなりませんでした。
その次に起こったのが、足の壊疽です。
怖いのは、ちょっとした傷でも、壊疽を起こしてしまうことです。
足の指の末端まで血液が流れていないからです。
足の感覚、痛みもかゆみもすべてなくなるので、傷を発見するのが遅くなり壊疽まで発展してしまうのです。
赤くはれた足の小指は、紫色へと変わっていきました。
母が毎日治療を施していたのですが、どんどん壊疽は進んでいきました。
まずは小指から切断。
足の指は4本になりました。
一本ないだけで、身体の重心が取れないんだよねなんて言っていたことを思い出します。
その頃はまだ、家で過ごせたのですが、壊疽がすすみ、再入院。
今度は足の甲を全部きることになりました。
その頃の病院は、お気にいりの若いヘルパーさんもいて、父は前向きにリハビリをしていました。
コンサートや誕生日会などを病院内でやってくれたので、父は明るく元気でした。
そのころの医療体制って、長期の入院だと三か月しかいられなかったのです。
なので、三か月したら転院先を探さなくてはなりませんでした。
転院を嫌がっていた父ですが、なんとか説得して、大きな病院に転院することになりました。
そこでは治療の甲斐もなく、ついには膝から下を切断することになってしまったのです。
足がなくなるなら生きていても仕方ないと、最初は嫌がっていたのですが、母の説得で手術を受け付けました。
大きな病院も三か月で、追い出されました。
そして、母が通える範囲で、必死に転院先をみつけたのですが、そこは認知症や、寝たきり老人ばかりの老人病院でした。
父の病室は4人部屋で、父以外の入院患者は、みんな意識がない方でした。
テレビの音もない、会話もない静かな病棟でした。
ここは、死を待つ人たちばかりだ、不謹慎ながらもそう思ってしまいました。
父は、糖尿病が原因で、片足を失い、その老人病院に転院してからは、生きる気力をなくしていきました。
いつもお見舞いに行くと天井をみつめていて、笑わなくなりました。