カレンダーを見ると、今日から3月、春近しーと気分もあがってきます。
今日は、元わが家に行ってきました。
主のいなくなった家、夫が亡くなった現場へ一人で入るのは、未だに勇気が必要です。
娘の赤ちゃんの時のアルバムだけが、みつからなくて、今日も探し続けたのだけど、みつかりません。
ドッと疲れました。
3月1日と言えば、卒業式
近所の高校で、卒業式をやっていました。
カレンダーを見ただけで、毎年、3月1日はいろいろ思い出しちゃいます。
娘の卒業式は、14年前、私は50歳。
卒業式の前の日に、娘は一人暮らしをするために、家を出たのです。
父親から18歳になったら出ていけ!を忠実に守った娘、夫に内緒でコソコソと夜逃げのような引っ越しをしました。
最初は、徒歩20分くらいのワンルームに住んでいたので、よく逃げ場として使わせてもらってました。
卒業式には、別々の場所から出向き、会場で娘の姿を遠くからみました。
旅立ちの晴れの日なのに、娘がふびんで泣けました。
暴力を受けていた父親から、やっと解放されてよかったという気持ちもあったけれど、娘は寂しくで仕方なかったと後から聞きました。
その頃、過食症と闘っていたことも後から聞きました。
息子の卒業式は、7年前、私は57歳
現役では大学受験を見事に失敗。
貧困母子家庭の真っただ中にいたので、塾には行けず、国立一本にしぼって受験。
たった一校で、滑り止めも受けなかったのです。
あんなに勉強してたのにと、当時は思いました。
でも、塾へも行かず、国立一校というのは、無謀すぎました。
卒業式は、青白い顔で出席していた息子。
笑顔の同級生の中、一人だけ覇気のない顔をして、ホームルームでは未来の夢を語るのだけど、小さい声で何を言ってるのか聞こえませんでした。
ホームルーム終了前に、教室を飛び出した息子は、どこかへ消えてしまったのです。
私が先に帰宅、待っても待っても、息子は帰ってこなくて。
もしかして?と最悪のことを考えていました。
結局夜24時くらいに帰宅、死んだように眠っていました。
その後、昼夜逆転の生活が続き、毎日、爆睡していた息子は、受験うつと診断されたのです。
脳が相当疲れていたようです。
夏には、立ち直り、バイトをしながら、塾へも行き、次の春には国立大に合格できました。
第二希望の後期試験で、ギリギリひっかかった感じですが。。。
二人の子供には、本当に苦労させてしまったと思います。
でも、よく乗り越えてくれたと思います。
苦難のどん底にいる時、そこから這い上がれる気がしなくても、いつかは春が訪れます。
そんなことを、3月1日になると思い出しています。