ひとりごと

急逝した夫の口癖「人生は修行の場、良い事なんて一つもなかった」




久しぶりに、風邪をひきました。
今日が、公休日で良かったです。

40℃まで上がるも、今は平熱にもどり、明日は仕事へ行けると思います。

人生は修行の場、夫がよく言っていた言葉です。

急逝した夫が、よく言っていたのは人生は修行の場だということ、苦の娑婆だという言葉を使っていました。
夫の母親、つまりは私にとっての姑もこの世は苦の娑婆だという考えの持ち主でした。

私たちのいま生きているこの世界を、仏教では「苦の娑婆(しゃば)」とよんで、きらっています。
確かに、何事も自分の思い通りには事が運ばず、周りに気をつかったり、相手と嫌な思いで付合わなければならず、まさに、この世はままならない、苦悩の連続なのです。引用 私と仏教

苦の娑婆とは仏教の言葉ですが、その後に続く言葉に励まされます。

苦しい、つらい思いをして、それに耐えて一所懸命に努力して目的を達成できたときは、こんな嬉しい事はなく、むしろ、楽々として仕上がったときよりも、苦心してできたときの方が、喜びの感動はくらべものにならないくらい深いものがあります。
まさに「苦あれば楽あり」の諺(ことわざ)のとおりです。とすると、苦しみは喜びの種子ということになります引用 私と仏教

私はクリスチャンですが、聖書の中にも、同じような言葉がたくさん書かれています。

私が結婚する前に、義母は他界しているので、会ったことはありません。
だけど、元わが家で義母の日記を発見し読んでしまいました。

それはそれは苦しい人生だったようです。

この世は修行の場、早く人生を終えてあの世に行きたい
今日は、教会の祈り会に出席してきました。 60代女性3人と30代女性1人、祈り会の後、寿命の話になりました。 60代女性3人は、もういつ天国に召されてもいいという考え、私もその一人です。 だからといって死にたいと思っている...

この世は、苦の娑婆が口癖だった義母に育てられた夫は、生きることは修行だという考えが染みついていたように思います。
しかし、夫も義母も、マイナスの言霊が不幸を引き寄せていたのかなとも、思います。

かわいそうな人だと思い、同情で結婚したのが大きな間違いでした。
人の考えや生き方は、そう簡単に変わるものではなかったのです。

修行を終えて、旅立った夫

私と息子が家を出た後の、10年間、夫は一人でどう感じ、どう生きてきたんだろう?と未だに思います。
義母の同じように、早く人生を終わりにしたいと思っていたのか。

3年前にかかってきた電話では、夜が怖い、このまま朝がこない気がするからと言っていました。
その頃から、夫は死を覚悟していたのかもって、思います。

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