熟年別居

家族じまいは、私一人で背負う。




某メディアで、家族じまいという言葉を知りました。
家族じまいとは、一言でいうと、家族と縁を切るということ。

私が見た番組では、子供の立場から、親を捨てたい、親と縁を切りたいという例が放映されていました。
親を捨てたいという人、とっても増えているそうです。

毒親だったり、DVだったり、教育虐待だったり、親をゆるせずに生きている人は、たぶんたくさんいるのだと思います。
老後の世話はいっさいしたくないと、終活代行サービスの利用も増えているのだそう。

わが家の家族じまい

やはり夫は、娘と息子にとっては、最悪な父親だったと思います。
父親が亡くなったと知っても涙一つ流さない子供たち。

夫のために、涙を流すのは、私一人だったと思います。
人生を終えても、誰一人泣いてくれないのは、そういう生き方をしてきたから。
可哀想な哀れな一生だったと思います。

娘は、とくに父親という存在を遮断して生きてきたので、亡くなってもピンとこないのか。
できれば横須賀へは帰ってきたくないようです。

息子は、ようやく大学院卒業の見通しがたったようで、ホッとしました。
今は卒論の制作に忙しいようです。

と、いうわけで、様々な手続き、片付けは私一人でやっています。
64歳の今だから、なんとかできます。

もう少し年をとっていたら、できなかったかも。

すべてが終わったら、この地を去りたい

良いことも悪い事もいろいろ思い出してしまう、地元横須賀。
今でも、夫のトラックとすれ違うのでは?と錯覚をおこします。
もうこの世にいないのに。

すべての手続きが完了したら、東京へ帰ろうと思っています。

家族じまいとは、この小説からできた言葉のようです。

気持ちが落ち着いたら、読んでみたい本です。

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