おひとり様の老後

この心の痛みは因果応報、痛みを感謝にかえる




今週は、何かと孤独感に襲われ、久しぶりに家族が欲しいと思いました。
気持ちが落ち着いてきたら、やっぱり一人暮らしは気楽って思ったけれど。

日曜日なので、教会へ。
ここには神の家族がいます、クリスチャン仲間を兄弟姉妹と呼び合います。
本当の家族よりも、親身になってくれます。
骨折した時も、ずいぶん助けてもらいました。

礼拝に行き、祈ったら気持ちは、さらに落ち着きました。

心の痛みは、因果応報

因果応報とは、仏教の言葉で、内容は皆様ご存じだと思いますが。
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ

キリスト教の聖書にも、同じようなみことばがあります。
自分で蒔いた種は自分で刈り取ることになる、です。

たとえばある人に意地悪をしたら、後に誰かに意地悪されることになる、親切にしたら、誰かから親切にされるなど、自分がやった行為は必ずもどってくるという意味です。

娘には、娘の手を振り切って、何度も寂しい思いをさせてしまったことがあり、それが今、帰ってきたということで、苦しいくらいの寂しい感情を味わいました。
こんなに寂しかったんだと、身をもって理解することができたのです。

痛みを感謝にかえる

たまたま見ていたYouTubeで、入ってきた言葉です。
辞めたくなかった職場を辞めた時も心は痛かったけれど、乗り越えたことによって収入も増え、福利厚生も良い職場に転職することができ、今は感謝にかわっています。

骨折をした時も、心身とも痛かったけれど、ケガをすることによって、食生活の見直し、生活習慣の改善をすることができ、これも感謝です。

そして最近の娘との関係、償いのつもりで孫守りを続けた私でしたが、最後の方はしんどくなっていたのです。
東京への往復は、やはりとても疲れるようになりました。

娘を助けるつもりで通っていた私ですが、最後の方は上の孫の面倒をみるだけ、これも本当に反省しています。
(初孫ってハンパなく可愛くて)

「もう保育園入れるから、お母さんの役目は終了」みたいに言われて、これが自分を切り捨てられるような痛みを覚えたのです。
でも、よくよく考えてみると、もう孫守りを頼まれることはないんだ、これからは自分の好きなことができるじゃんと思えたのです。

何よりも、私の助けはもう必要がなく、優しい旦那さんと幸せな家庭に恵まれたことが感謝だと思えました。

今後は子供たちに、心配かけないようにすることを第一にして、一人の老後を楽しんでいこうと思います。

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