熟年別居

モラハラ夫の「出ていけ!」発言を待っていた私。




仕事が休みで、何の予定もない日は、時々急激に寂しくなります。
思い出してみると、若い時からそうでした。

手帳に何の予定もないと、寂しくなって、アレコレ予定を立てていました。
どちらかというとアウトドア派なのかもしれないです。

そんな私が、よく23年間も監獄のような暮らしにがまんできたと思います。
夫にたびたび追い出されていた私ですが、心の奥底では、「出ていけ~」という言葉を待っていたのかもしれないです。

モラハラ夫の出ていけ発言を待っていた私

働くのも禁止、外出も禁止、実家へはお盆とお正月だけ帰省が許されました。

家でジッとしてるのが苦手だった私は、夫の目を盗んで、昼はチョコチョコと出かけていたのです。  
ママ友とランチも行ってました。(苦手だったけど)   

時々スマホに、夫から着信。
今どこにいるのか?早く帰れと怒鳴られた事も。

夫の仕事がうまくいかなくなり、収入が大幅に減っても、働くのをゆるしてくれなかったのです。
二人で働いていれば、一家離散は防げたかも?

ひと時の自由時間を楽しんでいた私

夫の出ていけ発言を待っていたのは、どうどうと家を出て自由になれたからです。
プチ家出は数えきれないほどしました。

友達の家に泊まったり、金銭的に余裕がある時は、ホテルに泊まったこともありました。
娘が家を出てからは、もっぱら娘のアパートに泊まっていました。
娘宅で過ごす時間は、とっても楽しくて、二人ですき焼き食べたこともありました。

後半は、DV被害者の施設、女性の家に泊まっていました。
一泊1000円で、とまれたので、そこでお風呂にゆっくり入るが楽しみでした。

ひと時の自由時間を過ごして帰ると、夫は、機嫌がよくなっていて、その繰り返しでした。
でも、最後は、追い出されて逃避行するのに、疲れてしまって。

追い出されることのないワンルームを借りたのです。
逃げ場所として、借りたのだけど、そこに2,3日いたら、もう帰りたくなくなっちゃって。

それで今に至ります。
いろんなことがありましたが、やはり自由は最高の宝物だって思います。

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