私は、今から23年くらい前に義父の介護をしました。
(別居中の夫の父親)
義父の介護を経験して・・・
おむつを変えたり、トイレに連れていったり、身体をふいてあげたり、ご飯を食べさせてあげたり、われながらよくやったと思います。
当時はまだ30代で、娘も幼稚園に通っていたので、できたら義父の介護なんてしたくなかったのです。
あの頃は必死だったからできたのかもしれません。
今のようにヘルパーなんていない時代で、嫁の私がやるしかありませんでした。
義父は介護は3か月で終わりました
末期の肝臓がんだったので、入院して3か月で亡くなりました。
嫁の私への対応は、容態が悪くなるほどひどくなっていきました。
おむつを替えたようとした時は
「あんたは嫌なことするな」
「やめろ!」
「何しやがるんだ!」
そして食事を食べさせようとすると、何度もはらいのけられました。
残したものをもったいないから食べろと言われ残飯を食べさせられたこともあります。
今思うと、夫のモラハラ気質は、この義父から受け継いだのかも。
最後の方は、私が病院にいくたびに、帰れ!と言われ、あんた誰やと罵られました。
最後迄私は他人だったのです。
亡くなる一週間前には意識がなくなったのですが、夫は毎日病院に行き父親に話しかけていました。
どんな姿になっても生きていてほしい
と夫は言いました。
意思の疎通ができなくなってもただ生きていてほしかったのです。
夫は父子家庭でしたので、父親に依存していたのかもしれません。
寄りかかる人がいなくなった後、それはそれは喪失感がすごかったらしくがっくりしていました。
そして、その頃からDVやモラハラがひどくなっていきました。
私の父も糖尿病で足を失い、それから半年後に亡くなりましたが、父も義父も生きる希望を失っていたのは見ていてわかりました。
二人とも病室の天井を見てすごす日々、そして回復の見込みがなかったのです。
義父の場合、最後は夫と義妹が枕元でケンカをしていました。
毎日の病院通いに疲れはじめていたのです。
そして遺産はいくらあるのだろう?と義理の妹夫婦が父親の枕元で話していました。
いくら意識がないとは言え、たぶん聞えていたのだと思います。
兄妹が喧嘩を始めた翌朝、義父は旅立ちました。
結局、遺産は私の夫が独り占めをしました。
びた一文あげずに、その後義妹とは断絶、私が家を飛び出して別居しているのもしらないんじゃないかと思います。
どんな姿になっても生きていてほしい
私は母にたいして、そう思っているかは正直わかりません。
ただ現在の母は、昔のつらい出来事を忘れ、とても幸せそうにみえます。
これ以上認知症が悪化しない状態でなら長生きしてほしいと思います。
でも・・・
劣悪な環境の老人病院を見てきました。
あのような環境で眠っているだけの状態になってしまったら、長生きしてほしいとは思わないかもしれません。
「お母さんが認知症になって何もわからなくなっても生きていてほしい?」と息子に質問してみました。
息子は、「悲しいね」と答えました。
まさしく私の母への思いがそれです、どんどん記憶をなくしていく母をみているのは悲しいです。
息子は私がどんな姿になっても何もかも忘れても、生きていてほしいと言いました。
それは私が今元気で認知症にもなっていないからだと思います。
ただ一つ言えることは、私の少ない年金では、施設では暮らせません。
息子に負担してもらうことになると思います。
それが嫌です。
何もかも忘れて迷惑をかけ続けるくらいなら、生きていたくないって思います。