母が大腿骨頸部骨折で手術をして今日でちょうど一週間。
コロナ禍の入院は、想像以上に厳しいものでした。
コロナが憎い!認知症の母、会えなくなると会いたくなる
コロナ禍の入院は、手術立ち合いもその後の面会も一切できないのです。
妹が術後の経過を聞こうと病院に電話した所、教えられないって・・・
えっ?家族に教えてくれないなんて唖然としました。
もし聞きたければ、担当の先生にアポをとって聞いてくださいと言われたそうです。
元気にしているかどうかも教えてくれないなんて。
そういう決まりになっていますと看護師は冷たく答えたといいます。
母はどんな気持ちで、見知らぬ病院の見知らぬ病室にいるのだろう?
経過が良ければ大部屋に移っているはずです。
そこで友達できないかな?と思うのは甘い考えで、周りは母と同じ認知症患者ばかりのようですので、普通の会話なんかできないかもしれないのです。
父が最期の時に入院していた老人病院を思い出しました。
ベッドに縛られて眠っている人々。
どこからか聞こえるうめき声と、叫び声。
ここは地獄か姥捨て山か?と思ったものです。
母もそのような病院に?と思うとかわいそうで仕方ありませんでした。
最後に会った時に、私の手を握り、「おうち帰りたい、おうち帰りたい」とつぶやいていた母。
母にはもう帰る実家がありません、母にとってのおうちは現在住んでいるサービス付き高齢者住宅です。
そこには友達もいたし、ヘルパーさんもみんな優しい方ばっかりだったのです。
あの場所へ帰りたがっていた母、今どんな思いで病室のベッドに横たわっているのだろう。
本当にコロナが憎い
コロナさえ流行しなければ、手術も立ち会えたし、術後の面会にも行けたはず。
認知症の母は、なんでみんな会いに来てくれないのだろう、自分はついに捨てられたかと思っているかもしれません。
いてもたってもいられない気持ちになります。
ただ今回二つの病院に行って感じたことは、医療従事者の大変さです。
高齢者の多い病院でしたが、テキパキと動いていました。
介護が必要な患者がコロナに罹ったら、治療の他に介護という重労働もやらなくてはなりません。
逃げ出したくなるだろうなと思いました。
今回最初に訪れた病院は、過去にコロナのクラスターが発生していたことを知りました。
感染対策はちゃんとしていたのに、それでも発生するクラスター。
ひっきりなしに患者が訪れていたし、待合室もいっぱいでした。
それでも淡々と仕事をしている医療従事者には頭がさがります。
サ高住に行けば、いつでも会えた母に会えなくなると余計に会いたくなります。
「捨てたんじゃないよ。元気になってサ高住へ帰ろう」と母には伝えたい。
それさえもできない現状に、ホントにコロナが憎いです。