急に涼しくなりました、この涼しさは大歓迎だけど、寒暖差疲労にも気をつけたいですね。
昨年の今頃に書いた記事ですが、今年は落ち込んでいる暇はなさそうです。
新しい仕事を覚えるのが大変そうなので。
清掃の仕事をする初老男性
前回のブラック会社でも、今回の清掃会社にも、60代から70代の男性が何人かいたのです。
どこかの企業を定年退職した方なのかもしれないけれど、みなさんキビキビと動いて働き者です。
生きるため?食べていくため?それとも家族のため?
老体に鞭打って働く姿を見て、亡き夫のことを思いました。
夫は自営業で、自分で仕事をしていたのですが、良い時には年収1000万の時代もあったのです。
通帳を眺めたり、札束を並べてニヤニヤしていたこともありました。
羽振りが良い時代もあったので、子供たちは小学校から私立の学校に入れました。
娘は小中高、息子は小中まで、一度さらっと計算してみたら、学費だけで2000万くらいかかっていました。
(専門学校と大学の費用は、奨学金を借りていましたが、夫の遺産で二人とも完済することができたようです。)
その後、仕事の量が減りだして、いっきに貧乏になっていったのです。
仕事がなく荒れはじめ、モラハラと暴力がひどくなっていったのはその頃です。
家族のために、働いて
私は外で働くことを禁止されていたのだけど、どうにもならなくて夫に内緒でパートを始めました。
当時、夫にも、もう自営業は稼げなくなったから、外で働いてくれと何度もお願いしました。
ある日、息子が、駅の近くで駐輪場の受付を募集しているよ、それならお父さんもできるのでは?と提案したことがありました。
そんなことできるか!と聞く耳を持たずでした。
自営業をやってきたというプライドが邪魔したのか、はたまたコミュ障だったので、人と関わるのが苦手だったから?、理由はわからないけれど、外で働くことを頑なに拒否していました。
あの時、夫が家族のために必死になってくれていたら、家族がバラバラになることはなかったかも。
そして、寂しい最期を迎えることもなかったのかもしれません。
まぁすべてがタラレバです。
夫は亡くなる2年くらい前に、自分の生き方は間違っていたと言っていたけれど、時すでに遅しだったのです。