いつもは温かい横須賀も、今日は冷蔵庫の中にいるような寒さでした。
自分の部屋に帰ってくると、ホッとします。
今日も、大人のミロを飲んで身体を温めました。
これからずっと一人暮らしになるだろうと、覚悟は決めていますが、70代80代と仕事を辞めた後の暮らしは、どうなるんだろう?と時々、考えます。
コロナ禍となり、ママ友もその他の友達もほぼ断捨離してしまいました。
人付き合い皆無で、部屋にこもるのはやっぱりマズイでしょう。
80代になったら、私もディサービスに通うことになるのか?
え~まさかなんて思っているけれど、もしかしたら生きがいになったりして。
70代の自分と80代の自分、まだまだ想像できません。
母が住んでいたサービス向け高齢者向け住宅は、圧倒的に、女性が多く、男性は5人に1人という感じでした。
母は、同じ建物の中の一階でやっているディーサービスに、週3回行っていました。
ディサービスでは外部から通ってくる方もいますので、そこでいろんな方と関わり友達もできました。
母はディサービスが生きがいになっていました。
サ高住に入り、しばらくは帰りたい帰りたいと泣いてばかりいた母でしたが、ディサービスに行くようになり生活は変わっていったのです。
ディサービスってどんなことをやるの?母に聞いたことがあります。
機械を使ったトレーニングだったり、工作だったり、カラオケだったり、
毎回違うことをするそうです。
母の部屋には工作で作ったものが飾られていました。
(まるで幼稚園みたい)
手先を使う作業が、認知症予防に有効だからなのですね。
コロナ前は散歩に出たり、お花見にいったりと外出することもあったので、それはとっても楽しかったようです。
ディサービスが苦手な人もいます
男性は苦手な方も多いようで、亡き父も、ディサービスに週二回ほど行っていましたが、苦手だったようです。
家にばかりいるとぼけちゃうとか足腰が弱るなんていう理由で母にすすめられていっていたのです。
本当のところ、まだしっかりしていた母は、父を邪魔にしていたのだと思う。
可哀想な父・・・
ディサービスは、父にとっては、苦痛でしかなく生きる希望にはならなかったのです。
父は、仕事に生きた人で、あまり社交的ではありませんでした。
まじめで、働くことが趣味のような人でしたから、同年代の方々を何を話せばいいのかもわからなかったのかもしれません。
ディサービスでは孤立していたのかもしれません。
亡くなる三年くらい前に、俳句という趣味をみつけました。
仕事を引退し、家でこもりがちになっていた父は、俳句を作るのが何よりも楽しかったようです。
亡くなった後に、父の遺品を整理していたら、俳句を殴り書きしたノートが何冊も出てきました。
私たちのこと、孫のことなどを題材にしたものもありましたが、一番多かったものは、老いていく悲しみをテーマにしたものでした。
誰にでも、いつかは来る老後です。
老いていく悲しみは誰でも受け入れなくてはなりません。
教会の知り合いの高齢者も、職場の常連のお客様も、ディサービスに行くのは楽しみだと言っています。
本当に一日中、ぼっちで家にいたら、おかしくなっちゃうかもしれません。
同年代とお茶を飲んだり、話しをしたり、ゲームをしたり。
今はまだ、80代の自分を想像できないけれど、たぶん行くことになるかも。