風が強い一日でした。
昨日は久しぶりに眠れませんでした。
理由はわかってます。
ちょっと濃いめのコーヒーを飲んでしまったからです。
私の母は認知症が進行するにつれて、孤独だとか寂しいという言葉を言わなくなりました。
それはいいのか悪いのか、過去を忘れていく。
現在入院中ですが、自分がどうしてそこにいるかもわかっていないようです。
そしてサ高住でいじめられたことも忘れていると思います。
母はサービス付き高齢者住宅でいじめにあっていました。

母はその方と、高齢者住宅に入って一番最初に仲良くなりました。
何回かお会いしましたが、身なりのきちんとした普通の方でした。
「母をよろしく」
「こちらこそよろしく」
そんな言葉を交わしたのを覚えています。
そして一見温和そうな母なら、うまくやっていけるであろうと、食堂ではその方の隣の席になりました。
最初は、うまくやっていたようですが、妬みから、意地悪な行動や言動はエスカレートしていったようです。
母はその方以外にも友達が何人かできて、楽しそうにディサービスに通っていたのですが、それが面白くなかったみたいです。
「なんで、ディサービスなんかに行くの?」
「年寄りが集まって歌やゲームなどやって何が楽しいの?」と言葉でせめる。
他の方が気にしないでいいよと言ってくれたそうですが、母はだんだんしょんぼりするようになりました。
最後の方は、食堂で机をバーンとたたいたり、椅子をガタガタと動かして音で母を驚かせたそうです。
サービス付き高齢者住宅の職員さんは、いじめの一部始終を見ていました。
母をいじめていた方は、その高齢者住宅では問題ばかり起こしていたと聞きました。
そして母は泣いて施設長さんに訴えたことから、施設側は動いてくれたのです。
母をいじめた方は、過去にも何人もいじめたり、嫌がらせをしていたので、施設側は出て行ってくださいとお願いしたそうです。
でも、その方は追い出されても行く場所などないのです。
そもそも、息子夫婦が手を焼いて、手に負えないからとこの高齢者住宅に入れられてしまったと聞きました。
いろいろと問題を起こしても、引き取りたくないのだと思います。
行く場所がないのなら、そこでみんなと仲良くすればいいのにと思いますが、女の妬みやひがみをいうのは、なかなか抑えられるものではないのかもしれません。
結局、その方も寂しいのだと思います。
息子夫婦に追い出された、そのような思いを抱えて生きているのです。
結果的に今度やったら本当に出ていってもらうという釘をさし、その方は高齢者住宅にとどまることになりました。
最終的な対処として、母はほかのフロアにうつりました。
その方と違うフロアに引っ越しをしたのです。
その後は会うこともなくなり平和になりました。
母の認知症が進行していったのは、仲良くなった方が次々と入院されたり、グループホームに移ったり、亡くなった方もいたので、うつっぽくなってしまってからだと思います。
そして睡眠薬に依存するようになっていきました。
脳はその薬によっても影響を受けたのではないかと思います。

私はもう何年も薬を飲んでいません。
薬依存症は怖いと感じています。