アラカンのつぶやき

涙なみだの成人の日、あの日を忘れない




今日は、寒ーい一日でした。
タイツをはかないで、頑張ってきたけれどもう限界かも。

今日は成人の日でしたね。
振り袖姿の娘さんを3人くらいみかけました。

振り袖でもマスク、コロナ禍の忘れられない成人の日になると思う。
親御さんもどんなにこの日を楽しみにしてきたことか。

涙なみだの成人の日、あの日を忘れない

娘の成人式8年前の話です。
私が20歳で着た赤い振り袖を、娘は着ました。

娘は18歳で家を出て一人暮らしを始めていたのですが、成人式は夫に内緒でコソコソと準備をしました。

その頃はまだ別居前で、私は我慢我慢の毎日を過ごしていたけれど、どうしても成人式の準備はしてあげたかったのです。

自分が出ていけと言っておきながら、本当に出ていった娘を夫は勘当だと言い、二度と帰ってくるなと言い放ったのです。

地元の式典に出たい、でも自分の家に帰ってくることができなかった娘。

美容院を経営している友人に助けてもらいました。
当日、娘は東京から直接その美容院へ行き、着付けと髪のセットをしてもらったのです。

私は夫が仕事で家を出るのを待ってから、美容院にかけつけました。
何も悪いことをしていないのにコソコソしなくてはならないのが悲しかった。

美容院についたら、私の赤い着物を着た娘がいました。
すっかり準備ができあがっていたのです。

私はその姿を見て、泣きました。

喜びの涙と悔し涙と感動の涙と、いろんな感情がまじっていました。
父親に見せられない不憫な娘の成人式、いろいろ苦労させたし、本当にかわいそうに思ったけれど、とてもキラキラと輝いていました。

8年前の成人の日は大雪でした。
振り袖を着てスタジオアリスで記念撮影して、お店を出ると外は銀世界だったのです。

わ~雪だ!なんて喜んでいる場合ではなく、車が渋滞しはじめました。
成人式の会場へは友達のお父さまに、車でおくってもらったのですが、大渋滞で式には間に合わなかったとあとから聞きました。

それでも懐かしい友人たちには会えたようで、楽しい時間が過ごせたそうです。
成人式と友達との会食が終わり、着物の裾と足袋ははびしょびしょになり足が凍り付きそうだとlineがきました。

「早く帰っておいで」そんな言葉もかけれません。
娘は自分の家に帰れなかったからです。

私は娘を見送った後、何事もなかったように元わが家にもどりました。
自分の娘が成人式だったこと、夫は知っているはずでしたが、話はまったくふれずでした。

成人式の夜、布団の中で泣きました。
私も早くこの家を出なければと強く思ったのを覚えています。

(その二年後に、息子と二人で家を出ました。)

娘にはたくさん寂しい思いをさせたし、苦労もさせました。
昨年春、コロナが流行りだした頃に結婚、とても優しい旦那さんに巡り合えました。

悲しい思いをたくさんしてきた娘に、神様がプレゼントしてくれたんだって思っています。

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