今日は敬老の日、4連休の3日めです。
私の地元も、今年一番の観光客が訪れている気がします。
どこもすごい人。
今日はお墓参りに行くためにお線香を買っていかれる方がたくさんいました。
今朝、兄からのlineで、お墓参りに行ったという報告がありました。
木がボウボウに茂ったお墓、刈った後のお墓と二枚の写真が添えられていました。
兄が行ってくれたんだと、ちょっと安堵感。
私はもう何年も、実家のお墓も義両親のお墓にも行っていません。
私はクリスチャンなのでお墓にも仏壇にも先祖の霊はいないという考えを持っています。
私自身もお墓に入るつもりはなく息子には伝えてあります。
千の風になっての歌が流行った時に、その通りだと思いました。
私のお墓の前で泣かないでください
私のお墓の前で、泣かないでください
そこに私はいません、眠ってなんかいません
千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。
そこに私はいない、眠ってなんかいない、千の風になって見守ってくれていると歌詞を聞いた時はジーンとしました。
昔、父の法事でお坊さんに聞いた話。
お墓参りは、実は自分のために行くということ。
先祖のためではなく自分のため。
お墓参りに行ったという自己満足を得るためなんだそうです。
私はお墓参りに行かないと、ご先祖さまに怒られるからとか、ご先祖さまは守ってくれないとかの思いや、義務感で行くならそれは意味がないと思っています。
お坊さんはお墓参りに行かなくてもよいと言っているのではありません。
お盆やお彼岸にお墓参りに行き、ご先祖さまを思うのはもちろん大事だけど、その時だけでなく普段からご先祖さまや先に亡くなった家族を思い出し、そして感謝することが大事だと。
それが故人の一番の供養になるともおっしゃっていました。
確かに今、私たちが生きているのはご先祖さまのおかげでもあると思います。
普段からご先祖さまや先になった家族のこと思い出していますか?
私は時々、自分の祖父を思い出します。
母が亡くなった祖父にそっくりになってきました。
母は、祖父にいつもきつい言葉を投げかけていて、大げさに言うと虐げていたように思います。
今、兄から捨てられたような状況でどんな気持ちなのかなと思ってしまいます。
親を大事にしてきた人は、自分も大事にされると私は思います。
その反対もあるということです。
そして、もう一人思い出すのは、私の次女のことです。
小さな骨壺を元わが家のお墓においてきちゃいました。
それが心残り。
たぶん別居中の夫はお墓参りにいっているとは思うけれど、たぶん次女のことは忘れていると思います。
不憫だけど、私は心の中で次女を思い続けているので、ゆるしてくれるかな・・・
将来は墓じまいをしたいと考えています。
友人たちも樹木葬や海に散骨が増えてきました。
心の中で思い出し感謝することが、一番の供養になる。
本当にその通りだと思います。