親を施設に入れる罪悪感は捨てるべき!住めば都となる日が来る
親を施設に入れるというのは、親を捨てると同じだと罪悪感をもってしまいがちです。
私も、育ててくれた親を捨てるなんて、私は冷たい人間だ、そんなことできるわけない。
そんな思いから、なかなか親を施設に入れることができないでいました。
長女である私が母を引き取るべきだと、考えたこともありました。
結局、実家を売却しなくてはならなくなり、母の居場所はなくなるという切羽つまった状況になり施設に入れることにしました。
兄夫婦と二世帯住宅に住んでいた母ですが、お嫁さんがパニック障害になってしまったのです。

親を施設に入れる罪悪感も、親を捨てる罪悪感もありました。
探しだしてすぐに、とてもいいサービス付き高齢者住宅がみつかりました。
妹の自宅から、自転車で15分くらいの場所で、都内では費用は安めの所です。
申し込んで半年くらい待ち、入居できることになりました。
その時は、母がかわいそうで仕方ありませんでした。
老人ホームに入るくらいなら死んだ方がましと、母はいつも言っていたからです。
泣きわめくのではないか?
心配しながら、私は母へ、施設入居を進めました。
妹の家の近くだということもあり、母は意外にあっさりと承諾しました。
当時はまだそんなに認知症は悪化していなかったのですが、入居してからが大変でした。
帰りたい
寂しい
私は捨てられた
死にたい
このような悲観的な言葉のオンパレードで、母は毎日泣いて暮らしていたようです。
そして老人性うつ病がひどくなってしまいました。
その頃は、近場に住む妹が、週に何度も行ってくれたので、なんとか乗り越えることができました。
誰でも知らない土地、知らない場所で暮らすのは大変なことです。
なれるまでは、本当に時間がかかりました。
サービス付き高齢者向け住宅での暮らしは、いじめもありました。
本当にいろいろありました。
そのたびに、泣いていた母でしたが、今はすっかり落ち着いています。
住めば都と言いますが、母は楽しそうに暮らしていました。
昨年転倒してから母の認知症は進行し、もう外にでることはできなくなりました。

高齢者の転倒は本当に怖いです。
骨をおってそのまま寝た切りなんてこともあります。
私の母の場合、身体的には軽く済んだのですが、脳の中にダメージを与えてしまいました。
認知症がもう一段回進んだように感じました。
でも親を施設に入れた罪悪感は、日に日に薄れていっています。
母が、半分ボケていても、楽しそうに暮らしているのがわかったからです。
そして、ボケたせいなのか、子供に捨てられた、兄が会いに来ないとも言わなくなりました。
現在は、毎日をただ必死に生きているようにみえ憐れです。
この状態で家族が介護するのは絶対に無理だったと思うので、早い段階で施設に入れてよかったと思います。
サービス付き高齢者住宅は自分の身の回りのことはできるというのが条件です。
今の母の状態では入れなかったかもしれません。
親を施設に入れるタイミングも、重要だと感じます。