介護

介護別居を選択したアラカン同僚、母親のために生きる




3月に、親の介護のために職場を去った元アラカン同僚が、久々に職場に来ました。

二か月ぶりでしたが、げっそりと痩せていました。
苦労しているの?

こんな状況だから?母親の介護で職場を去る同僚
スーパー内の買いだめ行動は落ち着いてきて、ようやく日常の忙しさにもどってきました。 常連の高齢者のお客様があまりこなくなりました。 その中の一人が今日いらして、この状況でインフルエンザになったとかでやっと完治したとおっしゃっ...

このアラカン同僚は、ちょうどいい時に辞めたと思います。
3月の中旬でしたので、まだウイルス蔓延していなかったのです。
その同僚は糖尿病を患っています。
なので働き続けて感染したら、重症化する可能性があったのです。

介護別居を選択した元アラカン同僚

少しですが話をすることができました。
なんと高齢のお母さんと一緒に住んでいるそうです。
介護別居を選択したのです。

確か旦那さんと30歳くらいの娘さんと住んでいたはずです。
そこからの通い介護が大変になり、別居を決断したそうです。

介護別居というのは、旦那さんが理解ある方でないとできないと思います。
もし私だったら?夫は絶対許してくれなかったと思います。

介護は大変のか聞いてみましたが、意外と楽しそうな様子でした。
今日もお母さんのために、夕飯の買い物をたくさんしていきました。
そのアラカン同僚は、末っ子でとても可愛がられて育ったようです。
母親に愛されていたから、愛することができるんだって私は思います。

パートをやめてまで介護別居をする

母親が好きだからできるのだと思います。
嫌いだったら絶対にできないはず。

私の場合、現在86歳の母親と同居は考えられません。
愛されていないので愛すことができません。

私のブログで現在もよく読まれている記事が母親が嫌い、母親に優しくできない人は意外に多いこれです。

高齢の母が嫌い、それで苦しんでいる人がけっこういるんだという感想を持ちました。

私も母を嫌いでもないけど、好きではありません。
母は兄だけを愛してきました。
私なんか眼中になかったと思います。

兄夫婦に捨てられたような状況となり、今はサービス付き高齢者住宅に住んでいます。

来月から、また通院介助が始まります。
神奈川から東京をまたいで、病院に連れていく。
このコロナ禍で、はっきり言って怖いです。

妹がさじをなげました。
なので私がまた通院介助をすることになりました。

好きでも嫌いでもない母の通院介助は、義務のようなものです。
そして憐みの気持ちだけです。

介護別居を決断した元アラカン同僚は、母のために生きると言い、幸せそうにみえました。

帰りのロッカーで話した60代同僚は、今年に入り90を超えた母親を亡くしています。
亡くなったその日に荼毘にふして、次の日にはお墓に入れてしまったスピードぶりに驚きました。

母は嫌いだったという言葉を聞いて、納得しました。

高齢の親の介護は、どう育てられたかとか家庭環境が影響するって思いました、

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