今日は、すごい風でした。
春一番だったのでしょうか。
この時期になると娘の高校の卒業式を思い出します。
もう8年たちます。
東日本大震災の年でした。
娘は高校の卒業式の前日に家を出ました。
父親の18歳になったら出ていけの言葉通りに、それを実行しました。
最初は歩いて15分くらいの場所にアパートを借りました。
父親に見つからないように、夜逃げのような引っ越しでした。
私と息子の引っ越しも、夜逃げのようにコソコソでした。
突然、きれる夫です。
出ていくと言ったら、また何をするかわかりません。
なのでコソコソの夜逃げのような引っ越しです。
卒業式当日。
別々の場所から、私と娘は学校に向かいました。
卒業証書授与で、娘の名前が呼ばれる。
娘がニコニコと嬉しそうでしたが、その顔をみて私は涙があふれました。
卒業式という晴れの日に、一人暮らしのアパートから学校に向かった気持ちを思うと、憐れで仕方ありませんでした。
ごめんね、一緒に出ていけなくてごめんねと心の中で謝りました。
その涙の中には、安堵の気持ちも含まれていました。
あの父親から、やっと逃がしてあげられたという安堵の気持ちです。
娘はそうやって親から巣立っていきました。
自由になったから、楽しい生活をおくっていると思っていたのですが。
お母さん助けてと何度もメールがきました。
39度の熱がある。
扁桃腺が腫れてごはんが食べれない。
そんな内容でした。
まだ18歳と言えば子供です。
それなのに、私は守ってあげれませんでした。
夫の目を盗み、娘の所へかけつけることはなかなかできませんでした。
あの頃を思うと、本当に娘にはかわいそうなことをしたと胸が痛みます。
娘は、最近言っています。
頼れる親がいなかったから、自分で頑張るしかなかったって。
18歳で放りだされた娘。
自立するしかなかったのです。
娘が18歳で家を出た4年後、今度は私と息子が家をでました。
息子と私はワンルームのアパートで別居生活をスタートさせました。
夫に居場所がばれて、どなりこまれて、さらにまた逃げるようにここへ引っ越してきました。
もう二年間、夫とは音信不通になっています。
3月は涙の季節。
最後はうれし涙を流したい・・・
息子よ、頑張れ。