雑記

生活保護の申請、もう二度と福祉事務所には行きたくないです




私と息子が、母子家庭となりもうすぐ三年になります。
息子が中学三年の時、高校受験真っ只中の中、家をでました。

なんでそんな一番大事な時期に?
子供のためには、もっと早く出るべきだったのでは?

そんな意見もありました。

やはり簡単に家を出られなかったのは、経済的にすごく不安だったからです。
あの家にいたら、家賃がかかりません。

水道光熱費もかかりません。
さすがにこれは夫が払っていました。

生活費はどんどん減らされていき、ついには私のパート代をあてにしていました。

高校受験が終わるまでは、がまんするつもりでしたが、そのがまんも限界に達しました。

息子の受験勉強をじゃまする。
参考書をやぶく。
通学リュックをびりびりに引き裂く

そのような夫の行動は、精神異常者そのものでした。

私の身体から、あざが消えることはありませんでした。

警察を呼ぶこともたびたびありました。
そしてシェルターに入ることをすすめられました。

それを断り続けたのは、息子の学校のことがあったからです。
シェルターに入ると、子供は学校に行けなくなります。

転校、そして知らない土地での生活になります。

息子はそれを嫌がりました。

受験の二か月前に、家中の物を壊しはじめた夫。
そして毎週のように、私と息子は家から追い出されました。

なんというか、息子を守るために必死に生きていたように思います。

そして児童相談所に呼び出しを受け、相談に行きました。
そこの相談員さんに、私は泣きながらすべてを吐き出しました。

相談員さんは、つらかったですね。よく頑張ってきましたねと言ってくれました。
その言葉はとてもうれしかったです。

子供のために逃げる勇気を持って。
お金のことは何とかなるから。
そのために行政がある。

だめで元々ってことで、生活保護を申請してみては?と言われました。

生活保護?

考えてもみなかったことでした。

子供を守るために、行動に移さなければと、その時思いました。

生活保護の申請には、まず住む場所が必要でした。

夫と同居中のままでは、申請さえできません。

怖くて不安でたまらなかったけれど、なけなしのお金全部使って、ワンルームのアパートを借りました。

全部で10万ほどで借りれたと思います。
(フリーレントという制度で、最初一か月の家賃は無料でした)

そして、まず福祉事務所に電話しました。

生活保護の申請を受けれるかどうかわからないけれど、一度相談に来てくださいと言われました。

数日後に、相談に行きました。

いろんなこと、根掘り葉掘り聞かれてすごくつらかったのを覚えています。

生活保護の申請の条件。

1. 生活を維持していけるだけの収入(基準額)が無い事。

2. 生活を援助してくれる身内、縁者がいない事。

3. 資産、財産(家、車等)が無い事。

これを全部クリアしていないと、申請もできません。
私は、条件を証明できる書類を集めて、再度、福祉事務所を訪ねました。

一番いやだったのは、兄や妹に迷惑をかけることでした。
援助できないという署名を二人にもらいました。

母にも、娘にもです。

みじめでした。

身内に生活保護申請をするものが出てごめんね、そんな気持ちになりました。

やはり生活保護受給は、恥ずかしいことで、みじめだという思いもありました。

その福祉事務所は暗く、社会の底辺だと思いました。
私は、なんでこんな所にいるのだろうとも思いました。

福祉事務所、生活保護の申請は、二度と行きたくない場所です。

結局、私の生活保護申請は却下されました。
パートの収入があったのと、児童扶養手当をいただけることになり、それで、基準額を上回ったからです。

却下された時に、なんだかホッとしている自分もいました。

生活は苦しくとも、自分で頑張らなければと思いました。

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